Dance Fanfare Kyoto

インタビュー高木貴久恵作品 ねほりはほり (Dance Fanfare Kyoto vol.01) >> DOCUMENT・REPORT >> TOPPAGE

インタビュー高木貴久恵作品 ねほりはほり (Dance Fanfare Kyoto vol.01)

高木貴久恵作品 [つくる前]

【高嶋慈→高木貴久恵 インタビュー (1回目) 2013年 5月3日(金)京都 四条烏丸周辺】
高木貴久恵さんの作品のインタビュー初回。事前に高木さんのふたつの振付作品の映像をご覧になっていた高嶋慈さんが、クリエイションの方法やプロセスについて、ひとつずつ丁寧に整理をしながら、 高木さんの言葉を引き出していきました。

「いいダンサー」ってどんな人?

高 嶋:
今日は初回のインタビューですし、また作品作りが始まる前の段階でもあるので、高木さんがダンスや振付をされるようになった経緯や、ご自身のダンス観といったことについて伺いたいと思います。 もともと踊りはなにかやっていらっしゃったんですか?
高 木:
小さいころバレエをやっていたんですが、すぐに辞めました。白いタイツとチュチュを履いてっていう教室の雰囲気にどうしても馴染めなかったんです。
高 嶋:
京都造形芸術大学の情報デザイン学科に在学中は、身体をモチーフにした美術作品を作られていたとのことですが、それは具体的にどういう作品だったんですか?
高 木:
昔から、自分の肉体ってものを信頼できなかったんですね。他の人から自分が見えているかどうか、確信が持てない。小さい時のトラウマから来てるんですけど。私のものなのに、私でさえ信じられないこの身体というものが、いったいどういうものなのか、常に疑問でした。そこから、たとえば記憶や皮膚など、いろんな切り口から、自分の身体という不確かなものを、他の確かなメディアに置き換えていくっていうことで制作をしていました。
高 嶋:
その後、dotsへの参加を経て、ここ2、3年で自分のダンス作品を作るようになられたとのことですが、その動機はどのあたりにあるんでしょうか?
高 木:
まず、振付がしたかったんです。所属しているdotsというカンパニーでも、出演もしているんですが、4年ぐらい前から振付としても参加していました。ただ、dotsの場合は、演出家がちゃんといるので、最終的には全て委ねる形です。なので自分の振付作品として発表したいという思いが強くなってきました。
高 嶋:
最初の作品は『あなたの輪郭はいつも美しい』〔2012年5月19日・20日@アトリエ劇研〕ですね。共演者は、どのようなきっかけや基準で声をかけたんですか?
高 木:
4人のうち3人は、今まで一緒に作品に参加したことがあるメンバーでした。残りの一人は、自分が観客として観ていて、いいダンサーだと思っていた方で、いつか自分が作品を作る時はぜひ出てほしいと思っていたんです。
高 嶋:
「いいダンサー」という言葉が出ましたが、高木さんにとって、それは具体的にどんなダンサーですか?
高 木:
まず自分と正反対のものを持っている人、ということでしょうか。私自身が、あまり力強さがないんです。なので、外に強いエネルギーを出す人を求める傾向があります。
高 嶋:
力強さっていうのは、舞台に立った時のことですか?
高 木:
抽象的な言い方ですが、エネルギーの放出の仕方とか、存在感が強い人。
高 嶋:
それは、動いてなくても、究極的にはただ立っているだけでも、そういった印象を与える人でしょうか?
高 木:
逆にそちらの方が大事かもしれません。動いてない時にも、目が行ってしまう人です。

振付に用いる言葉

高 嶋:
振付を作っていく方法としては、高木さんが最初から細かく決めていくんですか? それとも、指示や設定を与えた状態で即興的に動いてもらって、出てきたものをサンプリングしていくような形でしょうか?
高 木:
まだ2作品ですが、どちらもあります。『あなたの輪郭はいつも美しい』はサンプリング性が強く、『Naked a.room』〔2013年1月18日・19日@Art Theater dB 神戸〕は私が細かく決めた部分が多かったです。
高 嶋:
振付をする時は、具体的な言葉を使いますか?
高 木:
使います。
高 嶋:
それは例えば、足をここまで上げる、というような具体的な指示なのか、あるいはイメージを喚起させるような言葉を投げかけるのか、どのような言葉を使いますか?
高 木:
どちらも使いますが、どちらかというとイメージや感覚的な言葉を使いやすいので、具体的に言うように気をつけています。
高 嶋:
感覚的な言葉というのは、例えばどういうものですか?
高 木:
擬音語が多いですね。「ふっ」とか、「だだだだ」とか。あとは、すごい広いところにいると仮定して、など、情景とか状態を投げることが多いですかね、液体のように、とか、ボールが身体の中を回っている、とか…
高 嶋:
そういう言葉って、どこから出てくるんでしょうか?
高 木:
自分が踊る時にそういうイメージを作って踊ることが多いので、今までやってきたことの引き出しから、これはこういう質感だなとか、こう言ったらイメージに近くなるかなってことを、自分の身体感覚に近いところから出しています。ただ、伝わらなくて混乱させることもあります。例えば、自分の思っている広い場所と、その人のイメージは違うので、すり合わせるのが難しいです。ただ、それが逆に裏切られた時に、お互いが知らないダンスが出てくるような気がします。
高 嶋:
よく、ダンサーが「身体の声を聞く」という言い方をされますが、それがどういうことなのか、自分はダンスをやらないからこそ、知りたいです。それはどのような状態のことを言うのでしょうか?
高 木:
ふたつパターンがあると思っています。ひとつは、稽古中に自分の身体を観察するというか、動きたいからこう動くんじゃなくて、今日はここの調子が悪いから、こう動いたらどうなるかな、とか。そういう時は、自分の身体と対話している感じがあります。
もうひとつは、本番中です。もちろん決められた振付などがあってそれを順にやっているんですけど、今初めてその踊りをやりました、っていう状態に身体がなった時は、自分の身体や空間とキャッチボールしているような感じになります。

最初の作品から、次の作品へ

高 嶋:
高木さんがこれまで、ソロではなく複数人での作品を作っているのは、ダンサーを動かすということより、もっとコミュニケーションを取りたいってことなんでしょうか?
高 木:
それはすごくありましたね。特に初めての作品(『あなたの輪郭はいつも美しい』)は、かなり個人的な思いから出発した作品なので、それを出来るだけ分散させて、軽くするには人数が必要だなとも思っていました。
高 嶋:
個人的な思いが出発点ということですが、それは共演者に話しましたか?
高 木:
そこが一番難しかったところで、本当に自分の思いが強かったんです。これを吐き出さないとどうにもならないっていうような衝動があって、それをある日、稽古場であるダンサーに話したら、「その思いは自分には関係ない」って言われたんです。言われた時はすごいショックだったんですけど、逆に、その関係性じゃないと作っていけないのかって思ったんです。自分の思いをダンサーに背負わせるってことは必要のないことで、あんまり訴えるとそのことによって逆に不自由になってしまうということがわかりました。
高 嶋:
その時動機として抱えていたものは、作品を作ることで変化がありましたか?
高 木:
もうこういう作品はつくらないって思いました。そういう意味では、自分にとっては通らないといけなかった作品だと思っています。作品を作る自分と、生きている自分との距離がとれるようになったかなと。
高 嶋:
上演中に踊っている時は、動機になったことを考えていましたか?
高 木:
考えたくなかったんですけど、考えてしまいました。自分が振付をして、かつ出演するという切り替えが難しかったです。ダンサーって、舞台の上で作品に対してどれだけ無責任になれるかが重要で、振付家は作品に責任を持つことが重要だ、って私は考えているんですが、自分の中でその切り替えがうまくいかないと、思いに引きずられて作品がどんどん内にこもっていってしまう。作ったものを俯瞰できるぐらいの距離感で踊るのがいいって思うんですけど…。
高 嶋:
『あなたの輪郭はいつも美しい』が1作目だったこともあると思います。作り手でもあり出演者でもある、自分が二人いるってことですよね。2作目『Naked .a room』の時は、そういった立ち位置について変化はありましたか?
高 木:
ありました。もともと自分が舞台に立つってことが肯定できなくて、いつも次で最後って思いながらやってたんです。「あなたの輪郭はいつも美しい」を作った後、それがやっぱりしんどくて、もう作ることだけに専念したいって思ったんです。『Naked .a room』も、振付をするために企画(「ダンス留学@神戸」)に参加したんですが、いろいろな条件が重なったこともあり、自分が出演した方がスムーズにいく、ってなった時に、逆に舞台に立つ楽しさを初めて知った感じがありました。あの作品は音楽も照明も最低限で、とにかく身体だけで見せるっていうのが自分の目標でした。あらためて自分の身体を見直す時間でしたね。
高 嶋:
それは、自分の身体に対する肯定感ですか?
高 木:
諦めだと思います。肯定することを目的にしてしまうとしんどくなってしまうので、もうちょっと飄々とした状態で身体と付き合える気がしました。
高 嶋:
私は映像で拝見しただけですが、「あなたの輪郭はいつも美しい」は時間も長くてダンサーの人数も多いんですけど、「Naked .a room」の方が作品としての強さがあると思いました。時間は短いしダンサーも二人だけなんだけど、削ぎ落とされて強くなっている感じがしました。あと、作品の中で追求していることとして、いかに作為的でなく舞台の上に立てるかっていうことがあったかと思います。身体がそこにあり、他に動いている人がいたら、どう反応するか、というような。
高 木:
まさにそういう作り方をしました。人が隣にいることで二人の間になにかが起こる、それって普段は見落としているようなすごい小さいことだったりするんですけど、それをどれだけ楽しめるか、そういうことを稽古場で話しながら作りました。動きたくない時は動かないし、ちょっとしたことでもなにかの動きにつながる可能性があれば、そこからダンスになるかもしれない。
高 嶋:
かなり共演者に委ねていた部分があったんですね。
高 木:
そうですね。最終的には私が決めるんですが、制作しているプロセスの中では、回り道をしながら、対話を重ねながらやっていました。

人類の代表が、今、目の前にいる

高 嶋:
大きな質問になるんですが、ダンスの面白さってどういうところにあると思いますか?
高 木:
ダンス以前に、「人」が面白いなって思っていて。人の身体をメディアに使った表現って本当に飽きません。お客さんとして観ていて素敵なダンスだなと感じる時は、もし私が宇宙人で、ダンスの概念も持たずにこれを見たら、「人間」について理解するだろうな、って思う時です。それは本当に心揺さぶられるような時にしか起こらないんですけど、よいものに出会った時は、「人類の代表が今目の前にいる」っていう感覚になります。同じ人類としてすごく勇気づけられるというか、人として生まれてきたことをすごく肯定できる瞬間が、ダンスを見ているとたまに訪れる。それがダンスっていう表現を私が信頼している部分であり、面白さだと思います。
高 嶋:
自分の作品でも、核にしているものはありますか?
高 木:
舞台に立っている人も、目の前にいるお客さんも、肯定したいなとは思います。自分にとっての真実として、人が一人っきりで死んでいくってことがあります。そのことを共有したいというと、少し違うのですが、それをみんな背負ってしまっているということを受け容れたいと思っています。
高 嶋:
お客さんも肯定したいっていうことを、もう少し詳しく教えていただけますか?
高 木:
同じ時間や空間を共有するってことだけではない気がします。理想は、お客さんと一緒にもうひとつ違うところに行けたらいいなって思うんですよね。作品を見せて、何かを感じてください、ということではなく、何かをやるので、ここに見せるものだけではないところにお客さんと一緒に行きたい。
高 嶋:
それは、舞台からお客さんに投げかけたものを、観た人に自由に解釈してほしいとか観た人の中に世界が広がってほしいということとは違いますか?
高 木:
それもそれであるんですが、例えば、生演奏を聞きに行くと、音楽を演奏している人は楽器に奉仕して、観客も聴きに行っているんだけれど、そういう関係の向こう側に、音楽そのものが誰のものでもなくなることがある。音楽ってそういう風に違う次元に行くことができる表現だと思っているんです。ダンスもそれに近いと思うんですよね。あるものを見たり聞いたりしてるんですけど、それを知覚しながら、例えば観ている人の記憶と一緒にもうひとつ違うところに行けたら、それは素敵な作品なんじゃないかなと思います。
高 嶋:
もうひとつ違うところに行く感じというのは、今まで見たことのないものが見えてくるという体験なのでしょうか?
高 木:
記憶が揺さぶられるもの、ということかもしれません。自分の記憶、見ている人の記憶に、作品がリンクする瞬間ってその人の中でなにかが起こってると思うんです。
高 嶋:
高木さんが見たことがある中で、具体的な作品を挙げることができますか?
高 木:
ピナ・バウシュの『カフェ・ミュラー』でしょうか。私があの舞台の中にいてもあのように行動するだろうなって、何の違和感もなく惹きこまれました。自分から余計なものが剥がれ落ちていって、自分にとって一番大切なものを思い出すような感覚になりました。舞台を見にいくと、なぜこの人は踊ってるんだろうって思うことがよくあって。動機が分からないと入っていけないんです。動くきっかけとかが、明確にわからなくても、動く一歩手前の衝動みたいなものが納得できないと、なぜそうなるのかがわからないんですよね。
高 嶋:
作品を作る時も、ムーブメントありきで作るというよりは、動機付けから始まりますか?
高 木:
そうですね。そこから始まります。
高 嶋:
そうした設定や動機付けは、共演するダンサーと話し合って決めるんでしょうか?
高 木:
そういう場合もありますが、だいたいは自分で決めておきます。作品を立ち上げる時に、まず誰がどういう状態でいるかっていうことを決めます。
高 嶋:
その設定は、どのように決めるんでしょうか?
高 木:
「あなたの輪郭はいつも美しい」は、「人間はすべて暗い森である」っていうサマセット・モームの言葉を出発点にしました。そこから、まずいわゆる森と、人の中にある森ということを、漠然とした絵のようなイメージから、たとえばこの人とこの人は初めて会うのか同じ時間にいるのか、といったような、演劇のようでもありますが、ある程度設定を自分で用意しました。「Naked .a room」の時は、むき出しのところに雨が降っているっていうイメージがあって、そこに女性が二人いるとしたら、私たちは誰で、どんな関係でっていうことを考えました。

インタビューを終えて

高 木:
ことばにすることで、自分がこう考えているのか、と逆に発見があるような感じでした。 話すうちに、高 嶋さんに伝わってほしい、という思いがとても強くなって、作品を創る、それを受け取ってもらう、というのはこういうことなのか、と妙に納得しました。作品を創る過程では多くの言葉を使いながらも、ひとつひとつに注意をむけることは難しく、きっと多くのエッセンスが取りこぼれているように思います。今回の企画が、普段ならば通りすぎていた何気ない自分の思考に気づき、客観的に向かえる機会になると思います。かなり緊張しましたが、、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。クリエーションも始まりましたので、平行してこれからどんな作用が起こっていくのか、とても楽しみにしています。
高 嶋:
高木さんがダンスに至るまでの経緯、以前に振付した2作品について、ダンスの面白さについて、など様々な視点からお話を伺うことができ、とても充実した時間を過ごさせていただきました。特に印象に残った高木さんの言葉が、振付と言葉の関係についてと、ダンサーと振付家の責任についてのものです。動きのイメージとして、「身体の中をボールが回る」といった言葉が出てくるのは、自分は普段そのような感覚で自分の身体を捉えることをしないので、面白いと思いました。そうした言葉は高木さん自身の身体経験から出てきた言葉であるため、うまく伝わらない場合と、逆に思いがけない動きを生み出す場合があるという話を聞いて、振付とはダンサーと振付家の間のコミュニケーションであると思いました。また、作品におけるダンサーと振付家の関係についても、「ダンサーは、舞台の上で作品に対してどれだけ無責任になれるかが重要で、振付家は作品に責任を持つことが重要だ」という明確な言葉を聞くことができ、とても納得しました。

高木貴久恵作品 [つくっている最中]

【高嶋慈→高木貴久恵 インタビュー (2回目) 2013年 5月30日(木)京都 四条烏丸周辺】
高木さんの稽古場を高嶋さんがご覧になってからのインタビュー。作品のモチーフである「夢」の話から、実際に行われていた稽古の方法やそこで交わされていた言葉について、具体的な問いかけとその応答が重ねられていきました。高嶋さんからの質問によって、高木さんが重要なトピックにはっと気付く場面も。

高 嶋:
「夢見る装置」というタイトルをつけられていますが、今の段階でどういう作品を作ろうと考えていますか?
高 木:
まず、ひとつモチーフを持ちたいなと思いました。私と出演者二人が知っていて遠すぎないものであること、なおかつ、私自身がこの作品が終わっても興味を持って取り組み続けられるものを考えた時、夢っていうことがふと浮かんだんですね。寝ている時に見る夢。私、毎日夢を見るのですが、夢日記をつけていたこともあって、自分にとっては面白い素材だなと。
高 嶋:
高木さんはどのような夢を見ますか?
高 木:
すごく不条理な世界というか、いろんなイメージが積み重なっていくことが多いですね。そしてだいたい誰か人が死ぬんですね。自分が死にかける時もあって、死ぬ直前に起きるんですけど、死ぬ夢を見て目が覚める、この振れ幅が自分にとっては毎回不思議な体験として感じられます。
高 嶋:
眠っている状態も一種仮死状態であり、死体に近い状態ですよね。擬似的な死を繰り返して、新しい一日を始めている。
高 木:
だから、モチーフとして夢が浮かんだ時に、最初に死という言葉が繋がってきました。一昨年祖母が亡くなった時、祖母の身体が自分にとって不思議なものとして感じられたんです。生きているのか眠っているのか死んでいるのか分からない曖昧な身体が目の前にあり、その人は私を認識していない。人と人との断絶のようなことを強く感じました。また、断絶感、孤独感というのは今までの作品でも扱っていた素材でもあります。
高 嶋:
夢で見ている世界を動きで表現するというよりは、夢を見ているような身体の在り方に興味があるのでしょうか。
高 木:
そうですね。自分の夢をそのまま再現するということは考えていません。
高 嶋:
出演者とは初顔合わせでのクリエーションですが、どのようにコミュニケーションをとっていますか?
高 木:
まず、最初のウォームアップは一緒にやっています。あとは、今回の作品で見せたいものをつくるための身体言語を共有するための時間を設けています。また、私が提案したことをやってもらった後、短くてかまわないので、必ずフィードバックを言葉で言ってもらうようにしています。
高 嶋:
ウォームアップのワークを2~3週間ほど続けていると思いますが、動き方や反応の仕方など、ダンサーに変化はありましたか?
高 木:
変わってきたと思います。共通の身体言語をもててきたと感じていて、それがだんだん身体になじんできたような気がします。
高 嶋:
稽古を見ていて、動きの"質感"という言葉が高木さんからよく出ていました。その質感とはどういうものですか?
高 木:
身体のフォルムというよりは、脱力した状態で動くとか、逆に全身力んだ状態で動くとか、重心を分散させるとか…。たとえば、水だと液体にも固体にも気体にもなりますよね。もとはひとつのものなんだけれども、軽さや重さなどの変化をつけるということでしょうか。おそらく、質感という言葉がよく出てくるのは、私が昔、絵を描いていたからだと思います。デッサンでガラスと布の質感を描き分けるようなことと似ています。
高 嶋:
その質感を変えたい、あるいはこういう質感でやってみたいと思った時に、どのようにダンサーに伝えますか? 具体的に身体の状態を示すのか、あるいはイメージ的な言葉を投げかけるのか。
高 木:
可能な時は具体的に言うようにしているのですが、そうではない時は、近いと思うイメージを伝えてひとまずやってもらい、出てきたものが違ったら、違う言葉を使って伝えます。ただ、どのような言葉でも、自分のイメージ通りのものは戻ってこないので、逆にそれが自分の発見にもなります。
高 嶋:
今日の稽古は、前半がウォーミングアップ二つと、いろんな質感を作るワーク、後半はもう少し振付として固まったところを稽古していましたね。
高 木:
以前の稽古で重里さんに振付をしたものを、ユニゾンでやってみたらどう見えるか、試していました。やってみて面白かったので、もしかしたら作品に入ってくる可能性もあります。
高 嶋:
重里さん一人で踊る時と、二人でユニゾンで踊る時の違いはどこにありますか?
高 木:
一人の時は、"重里さんの踊り"という面が強かったんですが、二人になると、抽象的になる感じがしました。ですが…難しいですね。ユニゾンでやったら面白いんじゃないかというのは、思い付きではあるんですが。
高 嶋:
ソロとユニゾンの違いは、単純に一人増えたということではないと思うんですよね。
高 木:
そうですね。リズムが生まれるってことなんでしょうか。もちろん一人で踊っていてもリズムはあるんですけど、層がひとつ広がる感じがありますね。ただ、自分でもそれについてを突っ込んで考えたことがなかったので、自分への課題にします。
高 嶋:
稽古ではいろいろな要素を試している段階だと思いますが、その作業とは別に、高木さんの作品に対する考えを共有するために、なにかやっていることはありますか?
高 木:
作品のことだけじゃなくて、自分が今どういうことを考えているかや、自分で大切にしていること、自分のダンスや身体の見方など、稽古中に言うようにはしていますね。ダンサー二人からもそういった事を聞かせてもらっています。
高 嶋:
稽古中、高木さんがおっしゃっていたことで、どういう行為であれ、なにかをしている人の姿に目が離せなくなるっていう話がありました。たとえば、泣いている赤ちゃんから目が離せなくなるなど。なぜ目が離せなくなるのか、またそれはどういう状態なんでしょうか?
高 木:
お金を払って人が舞台を見に行くっていうことがどういうことなのか、最近すごく考えています。自分自身も、なにが見たくて舞台に行くのかなって。そんな中、和田ながらさん(ねほりはほり企画者)と話していた時に、「人を贅沢に見ることができる時間」ということをおっしゃっていて、共感しました。生活の中でもいろんな人を見ているんですが、舞台のようにまじまじと集中して誰か一人のことを見るって、特別な行為だと思うんですよね。それは、たとえばこんな風に普通にカフェに座っていては見られない状態の人を見たいっていうことでもあると思います。それが具体的にどういう状態なのかはわからないですけれど。稽古場では、目が離せなくなるような、そういう状態があらわれるのを探している感じです。自分の中では答えがまだなくて、でもそこに近づきたいという思いで、もしかしたらそういう状態になれるかもしれない、ということを、色々試しながら、ダンサーと探っています。
高 嶋:
実際、今の稽古ではその状態に近づいていますか?
高 木:
少し見えてきそうだなっていう瞬間はあるんですけどね。そこからどう形にしていくかを試しているところです。
高 嶋:
今の動きはあり、もしくはなしっていう判断の基準ってどこにあるんですか? たとえば高木さんが見たい動きであるのかどうか、あるいはそのダンサーらしいかどうかなど。
高 木:
もう一回見たいと思うことがまず大事ですね。そこにしか判断基準がないかもしれません。
高 嶋:
現在の課題と、これからどういう作業をしていこうと考えているか教えてください。
高 木:
モチーフにしている「夢」を作品の中でどう取り込んでいくか、考えないといけないなと思っているところです。作業としては、もう少しいろいろ試しながら、膨らませられるシーンの深度を深めていくようなことも並行してやっていきます。
高 嶋:
ダンサーの他に、中川裕貴さんという音楽の方が作品に参加されるんですね。
高 木:
そうですね。中川さんと一緒に作品づくりに取り組むのは初めてなのでお互い探り探りではありますが、音にも刺激を受けつつ、新しい発見があったらいいなと思っています。
高 嶋:
こういう音を作ってほしいというようなイメージはありますか?
高 木:
モチーフが夢なので、あまりファンタジックな感じにはしたくないと思っています。目の前にあるふたつの身体を際立たせられるような作品にしたいと思っているので、音楽がイメージを乗せていかないような形で進めていきたいです。

インタビューを終えて

高 木:
クリエーションが始まり、色々試している段階でのインタビュー、予想以上に言葉につまりました。高嶋さんが稽古場に観に来て下さり、そこで感じたことの素直な感想や疑問が、自分にとっては当たり前に進めていた事への自問に繋がりました。 自分を通して眺めている稽古場にもう一つ違う視点が入ることで、この段階で一度引いて観ることができたことは、貴重な経験でした。 稽古場でのダンサーとの時間の積み重ねが、もう少し形になってくるように作業しながら、さらに言葉を探し続けたいと思います。
高 嶋:
初回のインタビューでは作品作りやダンス観など前提的なことが中心になりましたが、第二回目のインタビューは、重里さんと松本さんとの稽古を見学させていただいた上でのぞみました。稽古の中で具体的な形になってきた部分と、まだ模索中の部分とがあるので、「どのような問いかけをすれば、高木さんが今考えていることを引き出せるか」が難しかったです。問う側の言葉をどうクリアにするか、次回への課題としてのぞみたいと思います。 また高木さんが稽古中に試していたことについての質問から、「ソロとユニゾンの違い」という問題が出てきました。これが今後の作品作りにどう作用するかはまだ分かりせんが、これまで意識していなかった問題を引き出せたことは、今回のインタビューの1つの収穫なのではないかと思います。
上演作品 高木貴久恵「夢見る装置」
西岡樹里「名前のないところから」
増田美佳「式日」
日程2013年 7月6日(土) 15:00 (高木作品のみ上演+トーク)
2013年 7月6日(土) 17:15 (西岡作品のみ上演+トーク)
2013年 7月6日(土) 19:45 (増田作品のみ上演+トーク)
2013年 7月7日(日) 15:00 (ねほりはほり3本立て) ※トークなし
場所 元・立誠小学校 2階 音楽室 google map
料金 1作品のみ 500円(当日券 +300円)
3本立て 1,500円 (当日券 +300円)
上演時間 1作品のみ 30分+トークセッション30分
3本立て 90分

関連PROGRAM

ARTIST

高木貴久恵たかぎきくえ

ダンサー・振付家。京都市出身。京都造形芸術大学情報デザイン学科卒業。 在学時より身体をモチーフにした作品を制作。2003年よりパフォーミング・アーツ・カンパニー〈dots〉の活動に参加。これまでにダンサーとして様々な振付家の作品に出演。近年は自身の作品を精力的に発表している。 (撮影:小椋善文)

INTERVIEWER

高嶋慈たかしまめぐみ

美術批評。京都大学大学院博士課程。「明倫art」(2011~13年)、批評誌「ART CRITIQUE」、小劇場レビューマガジン「ワンダーランド」などの媒体や展覧会カタログにて、現代美術や舞台芸術に関するレビューや評論を執筆。企画した展覧会に、「Project ‘Mirrors’ 稲垣智子個展:はざまをひらく」(2013年、京都芸術センター)、「egØ-『主体』を問い直す-」展(2014年、punto、京都)。