Dance Fanfare Kyoto

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インタビュー西岡樹里作品 ねほりはほり (Dance Fanfare Kyoto vol.01)

西岡樹里作品 [つくる前]

【川那辺香乃→西岡樹里 インタビュー (1回目) 2013年 6月2日(日)京都 四条烏丸周辺】
夕方からの初稽古を控えたお昼前に、西岡さんの初回インタビューは行われました。インタビューと初稽古。 そんな二重の緊張を抱いている西岡さんがリラックスできるよう、インタビュアーの川那辺さんが時々笑顔を見せながら、やわらかい対話が重なっていきました。

川那辺:
ダンスを始められたのはいつごろですか?
西 岡:
3歳でバレエを始めました。
川那辺:
コンテンポラリーダンスに触れたのはいつごろですか?
西 岡:
子どもながらにどうしても型にはまった踊りをするのが嫌になって、バレエは2、3年で辞めてしまいました。そこからは、ジャズダンスをやりました。大学を選ぶ時に、自分のやっているダンスが仕事になるのか、それを技術的に学びたいと思い、神戸女学院大学という舞踊専攻がある大学に入りました。そこでグラハムメソッドとバレエと、バレエの流れの中にあるコンテンポラリーダンスを習いました。その後、DANCE BOXという劇場に行った時に、あらためてコンテンポラリーダンスというものに出会ったという感じです。それは自分が大学で習っていたのとは違って、一体これは何なんだろうと思ったところから、興味を持ちました。
川那辺:
今、作品を作る動機はどのようなところにありますか?
西 岡:
私の中で、人だけがこの世界を作ってるのではないという気持ちが非常に強くあります。たとえば光とか水とか建物とか、色んな存在やいろんな領域にあるものがバランスを取りながら"今"というものができているんだろうなと。そう思った時に、人だけを中心に作品を作っていくということに疑問を感じて、そうじゃない作り方を考えたいと思うことが、ひとつの動機になっていると思います。
川那辺:
なぜそういうことを考えているんですか?
西 岡:
たとえば社会や、世界を考える方法ってたくさんあると思うんですが、それと同じように芸術というのも世界を考える方法のひとつだと思っています。ダンスも、世界を考える方法としてあったらいいと思っている中で、自分の身の回りにあるもののバランスや関わりを考えるようになったのかなと思います。
川那辺:
ダンスのおもしろさをどんな時に感じますか?
西 岡:
身体一つでものをつくることができること、だと思います。また、身体感覚というのは、ダンサーが強く持っている機能の一つだと思っていて、その感覚で自分以外のものと新しい出会い方ができることが、踊ることの面白さになっていると思います。
川那辺:
その感覚でどのように周りや観客と繋げていけるかということでしょうか。ただ、それを言葉にして話すのは難しいですよね。
西 岡:
でも、言葉を越えられないとだめだろうと思っています。同時に、越える前の言葉をどういうふうに作っていくかってことは、その向こう側を見るために大事だろうなと思っています。
川那辺:
なぜ、言葉を越えることが必要だと思うんですか?
西 岡:
言葉がなくても、ダンスはありえると思うんですが、自分が作る踊りにたくさんの人に出会ってほしいって思った時、踊り自体は生でしか見られない、すごくゆっくりな媒体なので、出会うまでのプロセスとして、言葉が必要なのではないかと思っています。
川那辺:
踊っている時に、どんなことを考えていますか?
西 岡:
作品によって違います。もともと、ダンスって言葉が先にあって、それに合わせるように踊りが出来てきたわけではなくて、なにか意識的な動きや美しいと思われるような動きを、日常の動きの中に埋もれさせないために、ダンスって名前が生まれてきたんだと思っています。たとえば、こうする(人差し指を伸ばす)。これに名前がなければただの一瞬の動きだけど、「指をさす」という言葉をつけると、「指さして」という言葉でもう一度やることができる。踊りもそれと同じで、先に動きがあってそれに名前を付けるから、それを繰り返すことができる。だから、ダンスはひとつのものじゃないし、ダンスという言葉の中に動きがあるわけではない。そうなると、作りたいもののために、いろんな身体の使い方っていうものもあるだろうなと思って。
川那辺:
その時々で、身体の使い方を考えながら踊っているということですか?
西 岡:
そうですね。
川那辺:
今回の作品では、どういう手法を使って制作しようと考えていますか?
西 岡:
始めにお話した、いろんな領域のものとか存在がバランスをとりながらその瞬間を作っている、という私の感覚を頭に置いた作り方になると思います。
川那辺:
それはダンサーと共有していくのが難しそうですね。
西 岡:
顔合わせをした時は、かなり時間を使って話をさせていただいたんですが、これからも彼らとどれくらい共有できるのか、そこの作業に時間をかける気がします。難しいと思うのは、身体ってすごく曖昧で、人によって全然違いますよね。それを、理解して共有するために、特に今回の作品では言葉が使われたりするかとは思います。
川那辺:
先ほど言われていた、自分ひとりで生きているのではない、ということは、ある言い方では「持続可能な社会」や「インタービーイング(相互共存)」と呼ばれる考え方と似ている気がします。その考え方は、いつごろから意識し始めましたか?
西 岡:
始めは、作品を作っている時に光とか音に興味を持ちました。ただ、その分野に対する知識がなくて、絵画とかや他のジャンルの人と話したい、感覚を共有できないにしても、そこを知りたい、という欲求があり、そこから身体以外のものにも目を向けるようになりました。そしてその行為を、自然と日々の中でもやるようになっていったのだと思います。
川那辺:
振付をしている時に意識されていることはなんですか? 特に、ダンサーとして出演する時と、振付に専念する時の違いがあれば、教えてください。
西 岡:
ダンサーと振付家は、違うことを行っていると思っているので、自分が振付をする時にはできるだけダンサーとして出演しないようにしています。明らかに違うことは…、責任を負う場所が違う、ということでしょうか。
川那辺:
今回はどのような稽古になりそうですか?  たとえば、同じ内容の身体づくりを一緒にすることはありますか?
西 岡:
出演者と私が共有できる身体の土台みたいなものは、作っていこうと思っています。それが言葉である時もあるし、身体の動きをベースにするっていうこともあると思います。
川那辺:
そういったことから、徐々に振付に移行していくと。
西 岡:
そうですね。ただ、ダンスを作るっていうよりは、ダンスらしきものを生むにはどうしたらいいのかということを、ダンサーと話しながら作っていけたらいいと思っています。
川那辺:
ダンス"らしきもの"という言葉が出ましたが、西岡さんは、自分の作っている作品はダンスそのものだとは思っていないんですか?
西 岡:
ダンスという名前で枠組を決めて、ここからここまでがダンスです、ということもあるかもしませんが、それが人が勝手に決めた範囲のような気がしていて。それを取り払ってみてもいいんじゃないかと思っています。結局見たいものが意識的な動きとか美しい動きということであれば、言葉でくくられた"ダンス"って呼ばれるものを目指して作らなくてもいいと思っています。
川那辺:
それは西岡さんとしてはダンス作品になるのでしょうか? "ダンスのようなもの"って言った時に、なんとなくですが、自信の無さを感じました。
西 岡:
自信がないわけではなくて…ダンスっていう名前なんてなんでもいいって思った時に、その周辺のものも含めて示せるといいなと。ただ、私が今言っていることは、かなり時間がかかると思う一方で、稽古時間がちょっと少ないのが気になっています。
川那辺:
確かに、最初の身体づくりなどの時間が少なくなってしまいそうですね。でも、その土台作りを一度すっ飛ばして作品を作ってみるのも、もしかしたら面白いかもしれません。
西 岡:
もしかしたらそれぐらいの風通しのよさがあっても面白いかもしれないですね。

インタビューを終えて

西 岡:
インタビューでは一つの事を言うために、相手に伝わる言葉を様々に探しました。そうする事でその一つの事が磨かれ、より明確になっていくように感じました。 ですが、その私の作業は、聞いている側には紛らわしい場合もあります。こうして改めて文字で話した事を見ると、言葉不足だったり他人と共有しにくい言葉を使っている部分を見つけ、伝わりにくくなっている事に改めて気づかされました。作品や活動に関わる表現方法の一つとしても、人に伝わり、かつ私なりの言葉というものをどう作っていけるのか、引き続き考えていきたいと思っています。
川那辺:
改めて原稿を読んでみると、自分が投げかけた質問が、予め仮定して発しているように見えて反省した。まるで「こういう答えを待っています」というように質問を投げる、というか置いているように感じる。いまや、LINEやfacebookなど他者とのコミュニケーションツールが当たり前のように存在しているが、どれも本音から一歩引いたような、軽薄な言葉が行き交っている。その理由として、みんな「わかっているフリ」をしていることが前提になっているのではないだろうか。今回のインタビューでは、私自身「わかっているフリ」をせず、「わからない」ことを前提に話を進めていくことが作品を理解していく上での糸口になる気がしている。 西岡さんは言葉を1つ1つ選び取って、言葉に真摯に向き合おうとしていた。彼女の魅力を少しでも伝えられるように、私も彼女に真摯に向き合いたい。

西岡樹里作品 [つくっている最中]

【川那辺香乃→西岡樹里 インタビュー (2回目) 2013年 6月10日(月)京都 四条烏丸周辺】
川那辺さんが稽古に立ち会ってからのインタビュー。初顔合わせのダンサーと、まずは西岡さんがとらえている"ダンス"というものを共有する作業が、稽古場では行われていたようです。言葉ひとつひとつのかたちを確かめるように、慎重に対話が紡がれていきました。

川那辺:
稽古6日目ということですが、メンバーの様子など、いかがですか?
西 岡:
この機会に二人(辻本、長洲)に出会えてよかったと思っています。私がやろうとしていることを理解しようとすること、身体を使って答えることを惜しまない方たちなので、一緒にやっていて非常に充実しています。
川那辺:
今日は稽古場にお邪魔して、少し見させてもらいました。稽古の中では、いろいろなことを試す時間をいつも設けていますか?
西 岡:
はい。私があらかじめ形を作って動いてもらうっていうことにはあまり興味がありません。動きが生まれてくる状況をどうやって作るかっていうことに興味があるので、その作った状況の中で彼らがどうやって動きを生んでいくかを試しながらやっています。私が話した言葉がどういう風に二人に伝わっているか、稽古時間の内のおよそ半分はほぼディスカッション、残りの半分は身体を動かしてやっています。今までの作品以上に、かなり言葉を使っているような気がします。
川那辺:
いつもの作品作りに比べると、言葉を使っている比重が大きいということですか?
西 岡:
話している時間自体はあまり変わらないんですが、言葉を探す、ということが大きくなりました。二人とも、私が伝えたことを、できるだけ自分自身にとってクリアな言葉で受け取ろうとしてくれるので、お互いの理解や共有の度合いを測りながら、話をしています。なので、今まで使っていた言葉を割ってその中を見ているような、いつもとは違う時間があるような気がします。
川那辺:
今日の稽古では、仮のものもありましたが、物を使って稽古をしていましたね。作品に使う物を選ぶ時どのように考え、決めていますか?
西 岡:
できるだけたくさんの見え方がするものを選んでいます。あと、作品の中で光を大切にしようと思っているので、光との相性がよいものを選んでいます。
川那辺:
ものを使いながら、二人のダンサーがもっともっと動きを試そうとしている感じが面白かったです。
西 岡:
そうですね。状況を提案する時は、こうすれば正解、こうすればゴールっていうような方法ではないものを二人に渡したいと思っています。できるだけ、彼らがたくさんの答えを出してくれるような方法や言葉を使いたいなあと。
川那辺:
今回の作品で、振付家として試そうと思っていることはありますか。
西 岡:
今回は、作品の終着地点を決めないようにしたいと思っています。 また、物に影響を受けて動きや身体が変わる、ということを中心に考えています。たとえば、自分でコントロールできると思っているものに動きが歪めさせられるとか、日常的に目にはしているけど直接手で扱うことが少ない物と、新しく出会い直すような。 ただ、こういったことを伝えようとしても、ダンサーから手厳しく問い返されることが多々あります。言葉で伝えることの難しさを感じていて、でもその伝わらなさをクリアするためにたくさん言葉を使っていると、実は自分がこんなに単純なことを考えていたっていうことに辿りつく場合もあれば、自分が曖昧なイメージでしか話せていなかったことに気づいたりなど、さまざまな発見があります。
川那辺:
なにかのメソッドのように、稽古の中で継続的に行っている取り組みはありますか?
西 岡:
「"歩く"ってことをどれぐらい日常からずらせるか」ということを、今回はひとつこだわってやりたいと思って、最初の日から続けて取り組んでいます。
川那辺:
日常からずらすっていうのは、普通の歩き方と違う試みをするということですよね。
西 岡:
普段はどこかに行こうという目的があって歩きますが、今やっているのは、歩く時にその身体にかかってくるタスクを増やして意識的な動きを生もうとしている、というようなことです。
川那辺:
普通は目的があって歩くから、歩く時は別のことを考えながら歩いていますよね。そうではなく、歩いている行為そのものを意識するということでしょうか?
西 岡:
そのようなことです。歩く、進む、というのは全身を使う動きの中で最もシンプルなものの一つと思っています。そのシンプルな動きを使って、空気を認識するってことを試したい、と、思っていたんです。それがクリエイションの中でどうやって使えるのかなあと考えていて。
川那辺:
空気を認識するというのは、どういうことでしょうか? 見えないものを感じ取るということでしょうか。
西 岡:
でも、空気は物理的にはありますよね、ここに。真空を体験したことがないので、あるかないかという差はわかりにくいですけど、小さな動きや温度の差で、この空間になにかがあるということは認識できる。そのように、空気がここにあると認識しようとする注意力とか集中力みたいなものを、動きに使ってもらっています。
川那辺:
空気を意識することで踊りが変わると考えているということですよね。その変化は、どのようにしたらあらわれると思いますか?
西 岡:
それはまだわかりません。ただ、ダンサーをはじめ身体を使ってなにかをしようとする人は、身体の感覚が、他の人よりも特化していると思うんです。たとえば舞台で照明を浴びている時も、身体の感覚がすごく働いています。その中でも触感は大事な事の一つだと思っていて、お客さんにもその触感が意識されるぐらいの繊細な身体を持つことがダンサーには必要なのではと考えています。それは、空気を認識するというところまで身体を注意深く使うということでもあり、またその集中した意識をもった身体を見てみたいということでもあります。
川那辺:
西岡さんにとって、触感という言葉は、空気という言葉と二アイコールですか? 触感を意識するということと、空気を意識するということは、似ていることですか?
西 岡:
少し違います。空気を意識するっていうことは、ここも、ここも、ここも(身体から少し離れたところを示す)、自分が触れていないところも含めています。触感っていうのは自分の身体に一番近いところのことを示します。
川那辺:
そういった考え方の中で、「空気を認識する」という言葉に導かれていったんでしょうか。
西 岡:
はい。でも、そのことについてはダンサーとかなり話をしました。最初に触感っていう言葉ではわからないとなり、意識する、感覚するなどいろいろな言葉を試していった中で、二人にとっては認識するって言葉がぴったりきたようです。
川那辺:
現在の課題を教えてください。
西 岡:
課題はたくさんありますが、ひとつには、二人の身体をどういう風に扱っていけるのかということがあります。二人のバランスがすごく面白くて、お互いがお互いの持っていないものを持ち合っているように見えることがあります。たとえば、長洲さんだけで繊細な部分を1時間ぐらい作っていたところに辻本さんが入ってくると、部屋の色がガラッと変わったみたいに、さっきまでと同じようにはできないというか、違うエネルギーを持っている感じがあります。一方で、辻本さんと問答をしている時に長洲さんが入ってくると、緊張していたものが緩んだり。その二人の身体の色の違いをどう見せていけるか、考えています。
川那辺:
これからどのような作業をしていきますか?
西 岡:
まだ稽古も6日目だし、いろいろな案を出して、私たちにできることは何かを探っていくことが中心だと思います。動きがものの影響を受けて変化していくっていうこと、そこだけで終わらせないように、それをどうやって越えていけるのか考えていければと思っています。先ほど終着地点を決めないと言ったように、まだ最終的に決定している形はありません。

インタビューを終えて

西 岡:
今回は第三者(インタビュアー)に、リハーサルを見てもらい、そこで感じた疑問などもインタビュー中に投げかけてもらう事がありました。そうする事で、作品の中にいる出演者とはたどらない道筋を通って作品を考えるという時間をもらう事が出来ました。これはもう一つのクリエーションなんだろうとも思います。 そして、2回目のインタビューがこうしてWEBにあがることになり、私が作品について考えている事や出演者との試行錯誤など、クリエーションの経過が公になっていきます。このWEB上という不特定多数の人と関わる環境に言葉が置かれると、自分の話した事から少し距離を持って、それをもう一度見直すことが出来るように思います。それは、取り返しの効かない状況で、自分を見るという感じで、伝える責任を改めて考えさせられました。これを読まれる方が作品を見に来てくださるとしたら、どんな目線で作品をみるのだろうと興味を持っています。
川那辺:
この企画を通して、言葉を使う・選ぶという行為の難しさや、私と他者では同じ言葉を使っていても、意味が異なる場合がある、ということに今更ながら気づかされる。 また、今回も西岡さんの外側の世界とのつながり方に心奪われた。たとえば、「歩く」ことについて、彼女が言っていることは、日常でも意識することでいつも見ている世界が変わりそうな予感がする。 こうしたことを言葉に変えていく試みはどんどんやっていきたい。でも、やはり実際やってみて、体でわかることも必要なんじゃないかな。
上演作品 高木貴久恵「夢見る装置」
西岡樹里「名前のないところから」
増田美佳「式日」
日程2013年 7月6日(土) 15:00 (高木作品のみ上演+トーク)
2013年 7月6日(土) 17:15 (西岡作品のみ上演+トーク)
2013年 7月6日(土) 19:45 (増田作品のみ上演+トーク)
2013年 7月7日(日) 15:00 (ねほりはほり3本立て) ※トークなし
場所 元・立誠小学校 2階 音楽室 google map
料金 1作品のみ 500円(当日券 +300円)
3本立て 1,500円 (当日券 +300円)
上演時間 1作品のみ 30分+トークセッション30分
3本立て 90分

関連PROGRAM

ARTIST

西岡樹里にしおかじゅり

兵庫県在住。ダンサー・振付家。砂連尾理「劇団ティクバ+循環プロジェクト」(神戸・独・京都)、村越直子「nothing-weight-light」(加)などにダンサーとして参加し国内外で活動。また、音楽家との共同制作作品「harmony」[2012]、モノと人の関係を見つめ直す舞台作品「C/O/S/M/O/S」(DANCE BOX『国内ダンス留学@神戸ショーイング』)[2013]を振付。昨年より福祉事業型「専攻科」にてダンス講師を勤める。

INTERVIEWER

川那辺香乃かわなべかの

滋賀県出身・京都在住。様々な地域での公演やアートプロジェクトに参加し、2012年頃より、京丹波町にある旧質美小学校で「423アートプロジェクト」を続けている。また、滋賀県で障害者の文化芸術活動の企画・運営にも携わっている。同志社大学大学院総合政策科学研究科SIコース修士課程(前期)在学中