Dance Fanfare Kyoto

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インタビュー山本和馬作品 ねほりはほり (Dance Fanfare Kyoto vol.03)

山本和馬作品 [つくる前]

山本作品の初稽古終了後に行われたインタビュー。自己紹介から始まり、山本さんが今まで辿ってきたダンスのことから今回のクリエイションのことまで、徐々に対話が深まっていくにつれて、今回の作品にとって重要なキーワードも出てきました。

筒井
山本くんは DANCE BOXの「国内ダンス留学@神戸」2期に参加していたんですよね。それ以前にダンスはしていたんですか?
山本
高校から部活で創作ダンスをやっていました。
筒井
ぼく自身が創作ダンスっていうもの自体をあんまりよくわかってないんですけど、そういうジャンルがあるって考えてもいいんでしょうか。
山本
そうですね、ひとつのジャンルって言ってもいいと思います。学校教育の中のカリキュラムのひとつを部活動にしている、みたいな。群舞とかがメインですね。部活では基本的にはバレエやモダンダンス、ジャズダンスのテクニックを練習して、大会がある時に作品を作る。生徒が提案しあってみんなで動きを作っていきます。強豪校とかになると先生がまとめあげていますけど。
筒井
そもそも創作ダンス部に入部した理由は?
山本
実質は帰宅部なんじゃないかと思ったからですね。新入生向けのパフォーマンスで、ストリートダンスをやってたのを見ていて。チャラい感じで、ダンス部入っとこうかな、と。練習も週2回って聞いたから。
筒井
実際週2だったの?
山本
いや、週6ぐらいありました。
筒井
全然違ったわけだ。でも、部活を辞めなかったのはなぜ?
山本
部員が僕がいた時は女子が40人ぐらい、男子は僕を含めて2人、貴重な男子部員だからって先生が辞めさせてくれなかった。あと、高校全体でも女子の割合がすごく多くて、そういう中で部活を辞めたりすると、まあ、居づらくなるというか…
筒井
なるほど。辞められない状況の中で続けていったと。でも、続けている間に心境の変化があったんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。
山本
毎年、夏に神戸で創作ダンスの大会があるんです。ぼくが1年生か2年生の時にその大会の20周年記念で、ゲストで近藤良平さんや星加昌紀さんが踊っていた。それを見て、かっこいい、おもしろなって。そこからYouTubeで検索して動画を探して、どうやらコンテンポラリーダンスっていうらしい、と知って…。あと、高校1年生の時に、地元のりゅーとぴあという劇場で「踊りに行くぜ!!」を観ました。
筒井
誰が出演していたか覚えてる?
山本
ひとつだけ覚えているのは、最後に上演された作品で、全身を銀色に塗ったおじさんに銀の砂をかけられて…室伏鴻さんなんですけど。その時はまだ高校1年生だったし、よくわからなかった。でも、そういった体験がなんとなく頭から離れていかなかったり。その後、岡山の大学に進学して、ダンス部に入りました。
筒井
その後、DANCE BOXのダンス留学に参加するんですね。きっかけは?
山本
後輩が出演していたKIKIKIKIKIKI『結婚/戯舞』という公演をアイホールに観に行ったら、1期生のショーイング公演のチラシが入っていました。知っている名前も載っていて、こんなのがあるんだなと。その後、大学を卒業して1ヶ月後ぐらいに2期生の募集を知って、応募したんです。
筒井
今回の作品のダンサーは、どうやって決めたんですか?
山本
まず人数の構成は男女混合だけども女性が多め、今まで自分とやったことがない人がいい、というのを企画側にリクエストしました。それからダンサーを何人か提案してもらった中から、益田さんと遠藤さんにお願いすることになりました。
筒井
人数の構成は、すでに作品の中身のイメージがあってのリクエストだったんですか?
山本
その時点で作品のイメージをしっかり持っていたわけではありません。まあ、ふわっとはあったんですけど。人数については、作っていく上で想像しやすいなと思って出た構成です。たとえば3から4人ぐらいであればダンサー同士の関係性なども考えやすいんじゃないかなと。
筒井
作品のイメージがふわっとあったっていうのはどういうことですか? 具体的なテーマやビジュアルではないということでしょうか。
山本
キーワードです。「愛」というか、その関係性なんですけど。
筒井
どうして「愛」なんですか?
山本
自分の活動のこれからを考えると、自分のグループなり、同じことを一緒に継続的にやっていける仲間、そういうつながりが欲しいと思っていたので、じゃあ自分が今考えているこのことを、何の気なしに「愛」っていう言葉でやってみようかなと。それは作品のテーマでもあるし、今回のクリエイションに臨む自分の姿勢のことでもあります。だから、異性からの愛を欲しているとかいうことではないんです。
ダンス留学に参加していた時、同期の参加者と一緒にクリエイションや上演の機会に取り組んでいる中で、誰かとなにかをするっていうこと自体がしんどい時期も楽しい時期もあった。でも、ダンス留学を卒業してからはしばらく自作自演のソロの活動が続いていて、いま、改めて人となにかをするっていうことを、作品として考えてみたいと思っています。
筒井
今回の作品でチャレンジしたいことはありますか?
山本
今までは構成などを頭で考えがちな傾向があったんですが、ダンサーの2人の身体やその場で起こっている現象にフォーカスをあててクリエイション出来たらいいなと思っています。誰が踊ってもいいようなものにするのではなく、この2人だからこその関係性で踊れるような作品にする。
筒井
今までの創作プロセスというのは、そういった目の前にある出来事や身体に重点を置くというよりも、どう構成をするかということから進めていた作り方だったんでしょうか。言ってみれば、創作ダンスの創作過程みたいな。
山本
そうですね。こう組み立てたらだいたいこんな感じかな、というような。コンクール向けの作り方ですね。
筒井
そこからは少し距離を置いて、違うプロセスを踏んでいきたいと。
山本
今までやっていなかったわけはないんですけど、今回も大事にしていきたいですね。 あと、楽しくやる、というのも前提です。楽しくなかったらやれない。
筒井
まあそうやね。キーワードが「愛」やもんね。
筒井
お客さんに対して、こう見てほしい、こう感じてほしいというようなイメージは日ごろから持っていますか?
山本
河川敷に座って川や空を見ている感じですかね。
筒井
景色を眺めるような感覚で見てほしいと。
山本
こう見てほしいというよりは、ぼく自身が観たいものとして、そう作るんじゃないかなって思うんですけど。景色を見ていて、そこに鳥が飛んでいたりしたら、「あ、鳥だ」って、目で追っかけることもできるとか。
筒井
意識をどこかに集中させるというよりは、見ている人がそれぞれ好きなように好きなところを見て成立しているものができたら、ということでしょうか。それは過去に作った作品でも目指していたことですか?
山本
ソロを踊る時はそうなってないかもしれませんが、他の誰かとやる時は多いですね。だから、近くでやっているのにすごく遠くに見える、って言われることがよくあります。
筒井
普段からよく景色とか眺めるんですか?
山本
わざわざ眺めるためにどこかに行くことは最近ないですけど、自分が日常的に通る道とかを見ている時間は多いですね。ベランダとかでも一時間ぐらい座ってたりします。
筒井
自分で作りたい作品と同じような他の人の作品ってありますか? それとも、そういったものにあまり出会わないですか?
山本
あまりないですね。
筒井
なるほど。他にはあまり見ないとなると、ますます気になりますね。山本くんがダンスを創作する理由があるとするならば、自分が見たいと思っているものがあんまりないから、というのもひとつでしょうか。
山本
それもあると思います。単純ですが、作ったものが形になる楽しさも大きいと思うんですけど。
筒井
今日は初稽古だったんですね。どうでしたか?
山本
ゆるゆるとストレッチをして、ワークをやったり。後半は、作品で使ってみようと思っているパーツを試してみました。稽古の最初の段階では、いろいろなパーツをたくさん作っておいて、そこから選んで取っていけるようにしたくて。まずは自分がやったことがあることを試してもらいました。ダンサー2人に動きを出してもらって、彼らがどんな動きをするのか、どんな雰囲気なのかを見て過ごしましたね。
筒井
まだ初回ですが、いい感触はありましたか?
山本
ありました。ほぼ初顔合わせのメンバーなので、あらかじめあまり想像もできていなかったんですけど、意外といいコンビかもって思っています。楽しく出来そうだなって。 振付家ではなくてダンサーが一番作品を作っていく人なんだっていう言葉を聞いたことがあるんですけど、僕も、自分が全部作りこむんではなくて、ダンサーに投げてあとは任せる、というような場面が出てくると思うんですが、そういったコミュニケーションがきちんとできそうな感触です。
筒井
パーツをたくさん作ってその組み合わせを考えるという方法は、さっき言っていた目の前の現象を大事にするという発想よりも、創作ダンスの構成方法に近いようなイメージを持ってしまうんですが、そうではないアイデアや手立てっていうのは今持っているんですか?
山本
「愛」とはまた別に、自分の中でもうひとつ「未白(みはく)」っていうキーワードを持っています。もともと、ものとものの間にある時間や空間をイメージして空白っていう言葉を考えていたんですけど、それは、もうすでにそこにあるものでそれ以外のものにならない、という気もして、違うものを考えていたところに浮かんだ言葉です。これからはどうなるかわからないけどいまはとりあえず白っていう状態。それを用意してアプローチする、未白から次のなにか違うものになるように、ということを、ダンサーではなく自分の役割としてやっていきたい。具体的には構成のことなのかもしれないんですけど、かちっと決めすぎず、なにが起こるか分からないっていう感じを残しておこうと思っています。

山本和馬作品 [つくっている最中]

筒井さんが山本さんの稽古場を訪問した数日後におこなったインタビュー。稽古で実際におこなわれている作業を発端に、話題はどんどんディープになってゆき、語る言葉も、短い応酬から息の長いストロークに変化していきました。

筒井
今日は前回のように次々質問するというよりは、いろいろ振り返りつつ、考えながらしゃべっていくかと思います。先日、Dance Boxでの稽古に立ち会いましたが、あれは何回目の稽古だったんですか?
山本
7回目ですね。本番までの稽古の数が20回前後なので、折り返し直前ですね。
筒井
手応えはどうですか?
山本
今のところ、全然ナーバスじゃないですね。クリエーションも楽しい。ダンサーの2人も、こちらが提示することを素直にやろうとしてくれる。やろうして、できない時もあるけれど、そこから発見できることもその都度あって。作品全体としてはまだ出来ていないし、手応えを感じられる段階ではないんですけど、クリエーションの充実感はすごくありますね。
筒井
僕が稽古を見ていた印象からも、それが伝わってきました。年齢も近いんですよね。みんな仲が良いなあと思いました。最初からそういう関係を作れていたんでしょうか?
山本
最初は3人それぞれ緊張もありましたけど、慣れてきたらいい雰囲気になってきました。稽古でやっている内容も、まだそこまで神経をぎりぎり使うということでもないですしね。ほぼ即興でやってみて、ダンサーがやってくれたことへのレスポンスでクリエーションを進めるようにしています。キャッチボールするような感覚ですね。
筒井
その作り方は、ダンサーの二人が作品に積極的に関わろうとしているからこそ、でもありますね。高校、大学と続けていた創作ダンスの時期には、そういう作り方はしていなかったんじゃないかと予想しているんですが、実際はどうなんですか。
山本
ないですね。感覚が常に更新されていっているので、今振り返ってもあんまりその時のことを覚えていないっていうのもありますけど…。
筒井
覚えてないんだ(笑)。キャッチボール的な作り方は、普段からそうやろうと意識しているんですか?
山本
一緒にやるダンサーによっても変わるとは思うんですけど。ダンス留学に参加していた時のことで、1月にショーイング、3月に成果上演があるんですけど、1月は振付でがんがんやっていたんです。でもそれで出来た作品を見たら、確かにダンサーたちがそこにはいるのだけど、ダンサーが自ら踊っている感じがしなかった。匿名性をすごく感じたのかな。このダンサーたちだから、成立した。と僕自身も言えなかった。だから、ショーイングを終えてから作り方を変えたんです。ダンサーから出てきたものを僕がいじっていく、さらに出てきたものを転がしていく…その往復で少しずつ進めていくように。それからまだ作品を多く作っているわけではないですが、最近はそういう作り方がいいなって思っています。
筒井
前回のインタビューで、最初にダンサーの構成を考えた時、女性が多めで男性も入っている、というオーダーがありましたよね。その主な理由として、絵が作りやすい、ということがあったんだと思うんです。そして、今おっしゃっていたのは、出演者がその人でなくてもいいようなものは作りたくないと。絵が作りやすいということと、ダンサーがその人である必要性っていうのは、相反しているようにも思えます。僕も演劇を作っていて時々感じることがあるんですが、その人の良さと全体の絵がかみ合わない難しさはありませんか?
山本
そもそも、ダンスによって出てくるらしさっていうのはなんなのか。たとえば声を出して話してみたりすると、そのしゃべり方とか佇まいで自然と出てくるのかもしれないけれど、ダンスって最初は誰かから教わったりするものでもある。その影響があってその人の踊りのスタイルができていくとなると、ダンスの中にその人らしさがどこまであるのか、難しい。だから、ダンスというよりも、身体を使っている時に不意に出てしまう反射とかに可能性がないかなと探っています。たとえば、すごいスピードで自分に向かってくるものがあった時に一瞬でどう身構えるか、というような反射的な反応。
筒井
その反射的に出てくるなにかっていうのが、果たしてダンスを通して出てきたものと言えるのか、難しい問題ですね。作品として、絵を作るということと、ダンスっていうことは、近いイメージでしょうか。それともまた別の問題ですか?
山本
別だと思いますね。絵を作るっていうのは、構成の作業だなと。ダンスそのものともちろん分かちがたいものではあるけれど。ちなみに筒井さんはいつも自分の作品で自分をクレジットする時、どうしているんですか?
筒井
僕はもうざっくり、演出とします。時々、自分が書いたわけではないテキストを扱う場合に、そのテキストをそのままやるなら原作のクレジットだけを加えて、潤色とかをする場合は自分を演出・構成とします。だから、僕にとっては上演の絵と時間を作るっていうことが演出の作業、テキストに関することは構成、としている感覚です。
筒井
稽古を見た時のことをうかがおうと思います。最初にやっていた脱力のワークって、いつも稽古のはじめにやるメニューなんですか?
山本
あれをやったのは3回目か、4回目ぐらいかな? あの日は遠藤くんが少し遅れてきていたけど、彼がいたら彼も一緒にやっていました。
筒井
ダンサーと一緒に身体を動かすのはいつもやるんですか?
山本
そうですね。その日の稽古で試したいことに近づける身体に持っていこうと思って、やることを選んでいます。筒井さんがいらっしゃった稽古の時は、脱力した状態から動きに発展していくような内容をやりたくて、そのためにあのワークをやってました。
筒井
僕は、あれが準備体操だと思ってぼんやり見ていたんですよね。そうしたら、どういうタイミングで身体に力を入れたり抜いたりするかっていうことに発展していって、その流れのまま振付というか、作品に反映されていくような動きが引っ張り出されてきたのがすごくおもしろかった。あれは、やりながら思いついてこれでいこうと思えたのか、それとも事前にこういう流れで進めていこうというリハーサルの構成がすでにあったのか、どちらでしょう?
山本
どちらもありますね。キャッチボールなので、最初の一発目は僕が投げるけれど、その後はやりとりの中で進んでいく。
筒井
フォルムが事前にイメージされていてそれを実行するのではなくて、たとえば力を入れたり抜いたりすることから生まれる動きから作られていくような、そういう作り方を山本さんがするんだなと思って見ていたんですけど、次に取りかかっていたテキストを扱っている部分は、また違うやりかたで作られているように感じました。
山本
そうですね、あそこは別の作り方をしています。
筒井
まだ作品の中でどう使われるかは分からないにしても、あのテキストのシークエンスは、どういう過程を経てあの形になっていったんでしょう?
山本
僕は、クリエーションを始める前に文章を書くんです。リハーサルを重ねていくと、どんどん新しい要素が出てきて、前には進んでいくんだけれど最初に描いていたものからだんだん逸れていく。そのズレに対して、最初はこうだった、ということを振りかえることができるように、作りだそうと思ったきっかけとかを文章として作っておく。その文章はまるごと出演者にも渡すんです。それに対して出演者個人から言葉で応答してもらったり身体で返してくれたものを組み合わせていく中で、新しいパーツを作っていったり。稽古で見ていただいたのは、その途中の状態ですね。
筒井
山本さんの文章に対して出演者からのレスポンスがあって、そのやりとりが展開していくと。でも、そうやって出演者が関わることで、山本さんの当初の想像からはズレていかざるをえないですよね。そのズレに対しては抗わないんですか?
山本
抗わないですね。テキスト自体もおそらくこれから増えていきます。テキストはその都度更新することもできるし、書いた時点を見なおして戻ってくることもできるから、ズレはあまり気にしません。
筒井
なるほど。脱力の延長で動きを作るように、いわば身体と対話しながら作っていくことと、文章と関わりながら作っていくこと、このふたつは山本さんの中でどういう関係があるんでしょうか。
山本
僕の中では繋がっていますね。
筒井
その二通りの方法が繋がっているということを、出演者は共有しているんでしょうか?
山本
いや、僕が投げかけているだけなので、わからないと思います。僕の中ではテキストの編集の感覚もあるから両方の作業が繋がっているけれど、ダンサーとしては、なんでいきなり脱力が出てきたんだろうというような。僕自身もそこは言葉で説明していないですね。
筒井
稽古を見ていてあらためて引っかかったのが、山本さんのダンスの出自である、創作ダンスです。創作ダンスって、これ僕の勝手なイメージですけど、表象だと思うんですよ。知覚したものや経験したものを一度心に納めて、心の中にあらわれるものを具体化して作品にしていくような。稽古で見ていた時も、山本さんの表現をそういう表象的なものに思える印象があった。テーマが愛だとすれば、山本さんが今まで経験や体験してきたこと、あるいは読んだり見たりしたものから愛を感じる表象を出しているように感じたんです。でも一方で、先ほど話題になっていた脱力から展開させていくような、身体への興味から生まれた動きがそこに加わってくる時に、また違う見え方が出てくる。
もともと僕、ダンスに関して疑問に思うことがあったんですよ。たとえばバレエは、登場人物とかの心の中にあらわれた感情を身体で表現するんだろうなって思っていた。つまり、表象的な表現だと思っていた。一方で、僕が初めてコンテンポラリーダンスに触れた時、たとえばリズムにのらないとか、意味から離れていくようなものとしてコンテンポラリーダンスの表現を捉えていた。もちろん、僕個人の知識の範囲で狭義ではあるんですけど、そういった前提をもってみた時に、コンテンポラリーダンスの中で作り手の心の内のイメージみたいなものがあらわれてきた時に、「あれ? 大丈夫?」って思っちゃう。せっかく遠くまできたつもりなのに、またバレエとかに戻ってやしないだろうかって。 でも、山本さんのクリエイションの過程を考えると、無理やり表象を意味づけしようとするんじゃなくて、身体を使って見えてきた動きもあわせて構成を工夫することによって、山本さんがイメージしているものに近付いていっている感触があったんですね。表象の作品化であったとしても、いろんな手立てがあるんだなと腑に落ちた。……あれ、僕が一人でしゃべってますね(笑)。
山本
いつ質問を投げかけられるか身構えて待ってました(笑)。
筒井
ちょっと考え込んじゃいました。まあでも、ある種の危険性をはらんでいる気もしているんです。結局やっていることはバレエと同じなんじゃないか、っていうことになってしまいかねない。たとえば、愛っていうテーマに関しても、僕はインタビューを通じてそれが男女の間に起こる愛に限らないということを知っているけれど、そういった情報がなければ、やっぱりシンプルな男女のデュオは男女の愛として受けとめられる可能性は高くなりますよね。甘ったるい恋愛を見ているようだ、というような批評が出てきたとしたら、どう対応しますか?
山本
まだクリエイションの途中段階ですけど、もし今の状態がそのまま作品に出たらそういうコメントもくるかもしれませんね。でも、それってどうしようもないかなって思う。弁解するのも違う。ダンスって抽象的なものだし、見ている人がどう捉えるかにほぼ委ねられているような世界じゃないですか。だから、どういう捉えられ方をしてもどうしようもないけど、自分が作品として提示する以上は、自分の中に確信はないとだめですよね。もちろん、その確信を持っている部分が多くの人からは見えないってこともあると思う。だからって100人中100人がこう見るだろう、というようなことを意識して作ろうとは思わないけど、僕が提示していることがたとえば100人中1人に伝わるぐらい、少ない人にしかつながらないものだったとしても、アーティストなのだとしたら確信を持って発信する立場だと思う。全然おもんなかったわとかって言われることもありますけど、それはその人の目線だし、それにも応えていく一方で、僕の中には具体的なものがあって、それをダンスっていう具体的じゃないもので出している、そういう活動だから。発信して、だめだったらまた出直す。そういう繰り返しだと思うから。
上演作品 山本和馬「愛してしまうたびに。」・佐藤有華「Cardinal LineⅡ−1」
日程2015年 5月30日(土) 17:00 31日(日) 14:00
※2作品連続上演、30日(土)は終演後にトークセッションあり
場所 元・立誠小学校 2階 音楽室 google map
料金 1,700円(当日券 +300円)
上演時間 30分+30分

関連PROGRAM

ARTIST

山本和馬やまもとかずま

振付家・ダンサー。1990年、新潟県生まれ。高校生の時にダンスに出会う。大学時代は岡山県を中心に活動し、国内外で主にソロの作品を発表。NPO法人DANCEBOX主催「国内ダンス留学@神戸」を機に神戸へ移住。現在は関西を中心にフリーで活動中。ダンサーとして三浦宏之の作品に参加。横浜ダンスコレクションEXⅡ2014ファイナリスト。 (撮影:小椋善文)

INTERVIEWER

筒井潤(dracom)つついじゅん

公演芸術集団dracomのリーダー。演出家、劇作家、俳優。2007年に京都芸術センター舞台芸術賞受賞。ダンス作品の演出やシニア劇団の指導、山下残振付作品やKIKIKIKIKIKI、マレビトの会、維新派などに出演。また、主に舞台作品の感想をシェアする茶話会「ざろんさろん」の活動もしている。2014年よりセゾン文化財団セゾン・フェロー。
http://dracom-pag.org/