現在2016年の半ば、一年前に書いたものを読み返してみるとそうそうそんなこと考えてたと思いました。Dance Fanfare Kyotoについて考えていてDance Fanfare Kyotoに関係ある事や関係ない事が浮かんできて、あまり選択せずに箇条書きにしたのでした。多少修正してよくわからないままの箇条書きとして掲載します。
Dance Fanfare Kyotoとその前身We dance 京都 2012には今ここを考えながら、過去と未来を考える機会をもらいました。この企画があったから一緒に踊る事ができた人、出会えた人、訪れる事ができた場所がある。意識にのぼらなくなっていたことを意識させてもらったりもしました。
- 作品を作っているとき、出演しているとき、何が起こるかわからないことを楽しめた。
- 演出、動きに関してのフィードバックが簡潔で的確だったと思う。
- 面白いと思うことに忠実な感じがした。
- 男ばっかりなのに男っぽさがあまりない。
- contact Gonzo身体とは。『現代における修験道としてのcontact Gonzo』みたいなクレイジーな切り口の批評はないものか。
- カニと身体性。
- 「自分らのやりたいことをやるには、うまいことやれる場所を自分らで作らなあかんわけやん。それにたけてるっていうか、それをずっとやってきたからなんやろうけど。そこで何かつっこまれても、うっとうしいんやったらふわっと回答しようぜ。ぽい感じでみたいなさ。でもそれはすごい必要なことやと思う。」contact GonzoについてAさん談
- ダンス、なんや?のもう一つの企画で上田さんは、自分たちが普段やってるのはこれですから、ダンスコメディをやります。ダンスを取り入れたコメディをやります。っていうのはよいなと思った。
- ここにないはずの何かが見えることは楽しい。
- 今ここでしか起こりえないことがあるということは信じている。
- 人間は、すでにいろんなありえない動きをやっている。すごい勢いで車に吹き飛ばされて生き残って、何故か無傷の人という一連の出来事が舞台上にあがってきたら楽しい。100パーセント無傷でいられる体の動きを手に入れる前に死んでしまいそうだけれど、それを舞台上でどう扱えばいいのかはわからないけれど、これだけたくさんの人が何かを作っているなら誰かがなんとかできそうな気がする。
- そういえば、昔テレビでみたアニメ拳というアニメや漫画でやっている動きをまねて戦う拳法は、アニメでしかできないと思ってた動きを再現していて面白かった。
- 想像力は普段の生活にもとても役立つけれど、全開にするのは舞台を観る時や何かをつくる時や非常事態のときにとっておくといいと思う。そうすればわからないことも楽しめるんじゃないかな。
- これは賢くない方法かもしれないけど、人がやった事でもやってみたらいいと思っている。失敗した事であっても。人前でやる必要もないんだから。
- 舞台に一瞬しか出ない人も気になってしまってしょうがない事がある。きっと電車に変な人が乗ったきたみたいなことなんだろう。
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今村達紀いまむらたつのり
教会からお寺、舞台から路上まで幅広く踊る。最近の活動に美術家村田宗一郎との「visiting」、桑折現演出の「Today」、関節を鳴らすサウンドパフォーマンス「関節話法」、ルールにしたがって息を止めて踊る「無呼吸」などがある。
http://blog.imamuratatsunori.net