Dance Fanfare Kyoto

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大谷悠 言語化という肩書き《SYMPOSION》出演をとおして(Dance Fanfare Kyoto vol.02)

きたまりさんに「シンポジウムに出ないか」と誘われたとき、それが作品だとはまず思わなかった。そのとき得た情報は、シンポジウムをする作品だということ、プラトンの《饗宴》をモチーフにしていること、演出家がいて稽古もあるということ。いくら話を聞いても「?」が増える。演出家のいるシンポジウムなど聞いたことないし、シンポジウムのための稽古とは何をするのだろう。そもそもシンポジウムをすることが作品と呼べるのだろうか。そこで体力に自信のない私は、心拍数の上がるような運動は求められるのか率直に訊ねたところ、きたまりさんは「ずっと椅子に座ってるだけだから汗はかかない。けど冷や汗はかくかもね」とまた意味深なことを言ってカラカラと笑っていた。チラシに載った文章を読んでも疑問は解消されなかったし、上演時間もチケット料金も想定していたより過剰なものだった。

《SYMPOSION》の稽古はひたすらシンポジウムをする。ただ、ここでいうシンポジウムとは現代の一般的なそれよりも“饗宴”という意味合いが濃い。さすがに元・立誠小学校で酒は飲まなかったが、稽古風景は“座談会”というほうが近いかもしれない。
シンポジウムをし、適当に多田さんが区切り、フィードバックをする。フィードバックは直前までのシンポジウムがどうだったかを振り返る時間だ。シンポジウム中、多田さんは基本的に何も言わない。笑ったりはするがずっとパソコンに向かってメモをとっている。始めのころフィードバックは多田さんを含めた全体でやり、そこでいわゆる演出家のダメだしがされることもあった。

稽古の第一回目のお題は〈演劇とダンスの同じところ・違うところ〉。その他には〈ふるさとは必要か〉〈人はなぜ旅をするのか〉〈関西のいいところ〉〈日本はいい国か〉〈愛とはなにか〉〈なぜ政治の話はしづらいのか〉など……。
月曜に初顔合わせでそのまま稽古に入り、金曜にはゲネプロというスケジュールのなか、水曜くらいまで私は内心苛立ち焦っていた。話が掘り下がっていかないからである。
お題が初回のような演劇やダンスにまつわることだったら話しやすい。アカデミックな意味での専門家ではないにせよ携わる者として当事者意識がある。なので、理路整然としているか支離滅裂としているかはともかく、言葉に実感が宿る。過去これまでに舞台に割いてきた時間の量が、このお題だったら人前で話ができるかもしれないという自負を抱かせる。それでも〈演劇とダンスの同じところ・違うところ〉のシンポジウムでたいして話が発展しなかったのは、それぞれの意見紹介が平行ラインでされたにすぎないからだろう。私はこう思います/僕はこう思います/そうですか/そうですね、と誰もが自分のテリトリーを越えていけない感じが漂っていたように思う。初回なのだから無理もない気がするが、話を深めるためには、自分の言いたいことを言っておしまいではなく、人の話や考えに突っ込みを入れていく必要があると気づいた。

しかしそうしたところでたかが知れている。そう思ったのは、お題に対する当事者意識が薄まるにつれ、実感をもって言語化できることが少なくなっていったからだ。
たとえば〈関西のいいところ〉というのは最悪のお題だった。京都に集まっている時点でお題の当事者となる条件は満たしている。けれども私たちは“関西”というくくりで何かをとらえようとすることに普段は無頓着だ。関西がいいところだろうが悪いところだろうがどうでもよく、お題について関心を抱けず、あえて議論する意義を見いだせない。

ところがお題が〈日本はいい国か〉になると様子が変わる。スケールが地方から国になっただけで空気が重くなった。どうでもいい、と思うこと自体に後ろめたさを伴う。シリアスになったが故に言葉に慎重になるが、こういうときこそ、黙ってはいるが何も考えていないわけではないのだと訴えたくなる。普段は無頓着で無意識で“日本”というスケールに実感を抱くことはそうないけれども、なんとか実感のもてる言葉を探していく。そうして私は個人的感覚レベルでしか話せないことを知るのだが、言語化することで私的感覚は掘り下がったとしても、それを公の場で表明することを恥ずかしいとも思う。ジレンマである。

こういう感想があった。「もしあのメンバーが、浅田彰と森山直人と鷲田清一とかだったらおもしろいだろうなって」。そりゃおもしろいだろう。
〈人はなぜ旅をするのか〉というお題で稽古をしたとき、途中から“旅”と“旅行”の定義づくりに話が変わった。「“旅行”はちゃんといついつには帰ってくるっていう予定されたものの感じがするけど、“旅”になるともしかしたら帰ってこないのかもしれないって思う」……。
すると誰もそれら羽根のついた抽象的言語をまとめられなかった。多田さんのダメだしはこうである。「僕らは専門家でも何でもないのであまり概念的な話に偏るとキツイです。それよりこの〈人はなぜ旅をするのか〉では、観光地としての京都のこととか、京都-大阪間は旅の感覚があるのかとかそういう話にいけたらいいです」。

たしかにもしかしたら哲学者とされる人は“旅”と“旅行”の区別に膝を打つような明解さを示してくれるかもしれない。けれども私たちがそれを試みるのはキツイ。これは飲み屋での饗宴ではなく人前で行う生身のパフォーマンスなのだから。私たちは専門家ではなく、その意味で観客と変わらないのだから。ではそんな等身大の人たちのおしゃべりのようなものを聴く観客はこれのどこがおもしろいとなるのだろう。
専門家たちがいればおもしろい。そういうときの「おもしろい」とはどういうことか。たとえばその道に長くいる人だからこそ体験する現場のストーリーだったり、何某は旅についてこう述べている著作があるという知識だったりする。おそらく専門家たちは、当事者意識の有無に関わらず発言できる言葉の蓄えが底なしに豊富なのだと思う。

多田さん(もしくはプログラムディレクターのきたまりさん)は出演者に専門家を選ばなかった。それは話者として私たちに専門性を求めていないということではないか。お題について話が深まり発展し何か新たな見解を拓くことよりも、そのお題について発言する必然性すらないごく“一般人”が理論武装もままならぬ状態でああだこうだと言葉を交わし続ける姿そのものをさらすことが《SYMPOSION》なのではないか。
そう解釈したら発言する怖さは弱まった。とことん感覚を言葉にしていくことである。それを躊躇していたら、薄っぺらな知識を引用羅列するにすぎなくなる。がむしゃらに言語化を試みることが私の仕事だと思った。言葉にできないならなぜできないのかを言語化したらいいと思った。

《SYMPOSION》が終わり、私は言葉というものに対して臆病になっている。  「大谷さんがあんなにしゃべる人だとは思わなかった。そういう役回りだったの?」という感想と質問をされたとき、喉が強張る感じがした。自分がしゃべる人か否かというのはわからない。飲み会などで盛り上がってなくて会話が途切れがちだったら、話題を探して話を振ったりするし、しゃべりたい人がいたら聞いている。場を停滞させたくないだけで、しゃべりたいことも聞きたいこともこれぞというものがあるわけではないのだ。

たしかに私は他の出演者と比べれば発言回数は多いほうだったかもしれない。しかしそれを可能にしたのはあくまで《SYMPOSION》の中だったからだと終わってみて気づく。発言内容は重要ではない。私が愛について何を語ろうが、日本の将来をどう思っていようが、すべては作品《SYMPOSION》演出・多田淳之介に回収されていく。よしんば私が心にもないことを述べたところで、「演出だったんですよ」で済んでしまうフィクション性は健在しているのであり、私は自分の発言に全責任を負わなくてもいいのである。本名と生身で出演していても《SYMPOSION》の私と素の私とには断絶をもたせられる。この点が“シンポジウム”と《SYMPOSION》のもっとも異なるところである。

では私が言葉を尽くそうとやっきになっていたのは一体何だったのだろう、と虚脱感に襲われた。
これから述べるのは作品の完成度や出演者の貢献度の話ではない。言語化するとはどういうことなのかを考えたい。そこでダンスのインプロ(即興)セッションを引き合いにしてみる。関わる他者はいるが台本はないというのは、空間を共有して即興で踊ることと似ている。即興で言葉を選んでいるとすると、ダンスで言葉に当たるのは動きひとつひとつである。あるいは音楽のセッションでもいい。おそらくダンスや音楽の場合、そんなに空しくはならない。なぜなら動きや音は生まれた瞬間から消えていくものだと了承しているからである。2時間も一緒に踊ったのにこの人の名前の読み方がわからないとか、どこかとても近しくなった気がするのに気のせいのような気もするという空しさが芽生えたら、きっと次は言葉が出てくる。

いっぽう言葉は音声という点では消えていっても意味を伴えば音と同じような消え方はしない。言葉は残る。そう思っているからこそ、《SYMPOSION》では言葉を溢れさせても言葉を残せなかったやるせなさがあるのではないか。出演者たちは互いの意見を聞きつつも、作品の上演時間をどう形成していくかを最大の焦点としていた。観客は発言そのものではなく、「どこまでが演出なのだろう」と次々と言語化していく“様”を見ていた。《SYMPOSION》という作品の枠組みは在っても、そこで交わされた言葉は残ってない。
《SYMPOSION》を通して、言語化するということ、人と話をするということの根本を考えている。

だから、ねほりはほり企画が気になってしょうがない。
ダンサーや振付家がしゃべれない、という問題意識はわかる。けれども、しゃべれないよりはしゃべれたほうがいいと当然のようにされるとき、私は立ち止まってしまう。このとき求められている言葉は、“マス”に通用する公的言語のことだろう。言葉をもたない人はいない。その言葉がごく私的であるか公に通じるものであるか、だと思う。

「僕は作品に対して何を訊かれてもすべて答えられる」と言う演出家や振付家とときどき出会う。一人称を“僕”としたのはなぜか男性ばかりだからだ。それはさておき、そういった断言を耳にする度に引っかかるのは、雄弁さが優位に立つ構図である。この構図において弁の立たぬ者はコドモでダメな人で使えない弱者である。いつから芸術の世界にまで公的言語の支配する構図が浸透したのだろう。

言葉が私的であればあるほど他者は理解しづらくなる。すると苛つき、私の理解できる言葉でしゃべれという傲慢さが出てくる。この傲慢さというのは、ちゃんと理解したいという真面目さの裏返しである。真面目なので、インタビュアーの質問にまごついたままの振付家を「よくない」と思い、軽い態度でかわすのも「よろしくない」と思う。真面目なので、感想カードを配られても気楽にさらさらとは書けず、慎重に言葉を吟味するがゆえに書くことへのハードルは高く、それを要求されることを面倒だと思う。ねほりはほり企画が気になる理由は、企画自体が内包する傲慢さもとい真面目さを嗅ぎ取ってしまう私自身の傲慢さをひっそりと思い知らされるからだろう。

創作するということと、作者が作品について語るということは、まるで反対のことをしている。もう一度「公私」の表現を持ち出せば、創作とはいわば私的感覚の追求であるのに対し、作品について語るということは公的言語の選択である。創作は(渦中であるならなおさら)言葉以前の生きた感覚の模索であるのに対し、言語化するということは感覚を言葉というフレームに定着させることである。同じ一人の人間がやっているからといって、整合性がとれて作品も説明も筋が通るというわけではない。むしろそこに生まれるズレに着目して遊ぶこと。そのことが、クソ真面目に言葉を特権的なものにしてしまうことから距離をとれる方法ではないかと思っている。

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AUTHOR

大谷悠おおたにはる

モダンダンス、バレエ、ジャズ、タップといくつかのジャンルや教室を渡り歩きながら幼少より踊る。これまでに、伊藤キム、寺田みさこ、きたまり、筒井潤の作品に出演。大学在学中より創作も始め、自作自演ソロ、演出振付作品はともに3つずつほど。桜美林大学卒業、京都造形芸術大学大学院修士課程修了。東京生まれ育ち。京都在住。