Dance Fanfare Kyoto

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和田ながら(Dance Fanfare Kyoto vol.03)

Dance Fanfare Kyotoを3回やった。

立ち上げ当初から、3年は続ける、ということは運営メンバー内で話していた。その誓いを反故にすることなく3回の開催を無事に終えられたことに、ひとまずほっとしている。走った、走った、走り抜けた、という感じがあり、上演プログラムから一ヶ月半を経て、ようやく息が整ってきた。
これまでを振り返り、これからを考える地点に立っている。

最初はとにかくがむしゃらにやっていた。
続けていく中で、少しずつ存在が認知されてきた。
回を重ねると運営もさすがに慣れてきて、もちろんまだまだやりきれていないことも多く課題も残っているにしろ、1日に複数の上演を進行していくことに加え、職員室にオープンしたカフェや古本販売コーナーなど待ち合いスペースの展開、公演期間以外に実施したワークショップには多彩な講師陣を招き、また、ウェブサイトのコンテンツの充実を図るなど、できることの幅も広がった。

たしか、5月31日の『Hurricane Thunder / Super Conceptual Dance no.001』の開演中。上演に立ち会いながら、ふっとやってきた感覚があった。それは、"Dance Fanfare Kyoto"という枠組みそのものが自律して動き出している感覚だった。運営メンバーがかたちづくって担っていた状態から、そこにアーティストをはじめいろんな人が集まってゆき、場自体が有機的に次のステップに進んだような。本当に、不意に到来したとしかいえない唐突さで手のひらに飛び込んできたその感触は、じわっと身体に染みた。3年間続けていてようやく味わえたひとつの実感のようなものだった。

では、これからは。
わたしは「観察」と「待機」だ、と思っている。
このレポートを書いている時点ではまだ他の運営メンバーとそれぞれの反省や展望を共有していないので、いつものごとく喧々諤々話しまくる中で別の道筋が見えてくることも大いにありうると留保しつつも、わたしの今の結論はこのふたつ。

Dance Fanfare Kyotoは、運営メンバーによるいくつかの問題意識を起点にプログラムを企画・構成していた。では、そのそれぞれの問題意識は、解決とはいわないまでも、前進を果たせたのか。その検証なしに、次の展開を考えることはできない。けれど、状況というものはそんなに軽やかなものではなくて、変化を望むには重たいものだということを、つくづく感じた3年間でもあった。
次年度は動かずに、見つめることに時間をかけたい。特に自分において重要だったダンスにまつわる言葉の問題に関しては、今のところ、手放しで評価できるようなトピックに出会えずにいる。その意味では、昨年書いた「ねほりはほり」に関するレポート(http://dancefanfarekyoto.info/report/02_07/)から見えている景色は変わっていない。
でもそれは、状況を精査できていないだけで見逃している萌芽があるのかもしれないし、いや、そもそもアプローチの方法がまずかったんじゃないかという可能性だってある。だから「観察」し、次にとるべきかたちにそなえて「待機」する。

先に、Dance Fanfare Kyotoが枠組みとして自走しはじめた実感を得たと言った。ならば、同じ企画を続けていくこと自体が生み出すものを信じてもよいのでは、と思わないわけではない。きっとそうやって育つ果実もある。でも、たしかな実感が得られたからこそ、その実感を模倣するように継続するのは惰性になり、惰性は、おそらく大事なものを萎えさせてしまうだろうという危惧がよぎる。
むしろ、あの実感がわたしを励ますのは、同じスタイルで続けていくことへの保証ではなく、同じスタイルをとらなくても、次をまなざす意志さえあればどのような形式でも"Dance Fanfare Kyoto"という場が起動しうる、ということである。

小規模とはいえ、フェスティバル形式を毎年維持するのも、エネルギーが必要なことだった。振付家・ダンサー、演出家、俳優、制作者と、違う活動領域を持つ運営メンバーが自身の活動と並行しながら業務を分担し、それぞれ持ち前のタフさによってぎりぎり全体を成立させていたというのが実情で、次の年も、その次の年も、という負荷が現実的ではなくなってきたということも、正直に告白する。
もっと仲間が増えたらいいと思っている。このプロジェクトの運営メンバーに、なんの資格もいらない。文句は垂れ流すのでなく行動で解消するものとして、言葉と身体を運動させることができるなら、誰だってかまわない。

自分が3年間継続してディレクションした「ねほりはほり」も、いったん停止するつもりだ。いずれ再開するだろうという想像があるわけでもない。でも、誰かやりたいという声があれば、コーディネートでもインタビュアーでも編集でも、喜んで引き受けるし、そもそもシンプルなシステムでしかないので、わたしのことなんか気にせずに現場で試してもらったらいい。おもしろいと思うなら誰だってできる。
自分のことになるが、わたしは自分の演劇作品の創作現場に「ねほりはほり」的システムを導入しはじめた。

おもしろい、よいと思ったら、人を巻き込む覚悟をして動くことの怖さも喜びも、Dance Fanfare Kyotoで、実践と共に学んだ。

ただ漫然と休憩するのではない。待機とは、機を待つと書く。
わたしにとっての"Dance Fanfare Kyoto"は、これからに向けての、スタンバイに入ります。

2015年8月6日
和田ながら

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AUTHOR

和田ながらわだながら

京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科卒業、同大学大学院芸術研究科修士課程修了。2011年2月に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。また、制作スタッフとしてもダンスや演劇などさまざまな企画に関わる。2013年よりDance Fanfare Kyotoの運営に携わる。