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高嶋慈→松尾恵美 インタビュー (1回目) 4月2日(水)京都 出町柳周辺
最初のインタビューは、ダンサーとのリハーサルが始まる前に実施されました。松尾さんが持ってきていた創作メモを高嶋さんが読むところからスタート。今回の作品の話だけではなく、過去の作品の話も混ざりながら、松尾さんがどのように作品づくりに臨もうとしているかが少しずつあらわになってきました。

 
初めて作った作品からずっとつながっているもの
高 嶋:
タイトルは「形創る」と書いて「こわれる」と読むんですね。どういったところからつけたんですか?
松 尾:
そうです。まず「ゲシュタルト崩壊」がアイデアとしてありました。といっても、突拍子のないひらめきから探っている状態です。ただ、以前からダンスにしてみたいと思っていたキーワードでもあって、しかも一度引っかかったらなかなか離れないたちで…。タイトルにそのまま「ゲシュタルト崩壊」を使うのはくすぐったい感じがあったので、自分なりにインターネットなどを使って材料を集め考えていった中で、形から外れていく、というようなイメージが生まれ、このタイトルに辿りつきました。
高 嶋:
お会いする前に松尾さんの過去の作品の映像を見せていただいたんですが、『羅列する』(2011年)と今おっしゃった「ゲシュタルト崩壊」というキーワードは、関心として繋がっている気がします。
松 尾:
『羅列する』は、初めて作った作品でした。それまでは自分が創作をするというイメージはほとんど持ったことがなかったのですが、機会をいただいて。自分にどんなものが作れるかを考えた時に、たとえば人間の感情や記憶、生き様といった部分ではなく、身体を物質としてとらえて、その状態や質感が変わっていくようなものに興味を持っている、と思ったんです。自分が発信をする時は、そういう考え方をする方がイメージが膨らむというか…。
高 嶋:
『羅列する』が初めての作品と聞いて、びっくりしました。初めて作品に取り組む時は、思い付きや見切り発車で始めて、消化しきれないまま詰め込んでしまうということがよくあると思うんですけど、そうではなく、かなりコンセプチュアルに作っていらっしゃる方だという印象がありました。タイトルもすごくシンプルで、作品の構造にもなっている。おっしゃっていたように、感情や記憶といった個人的なものから身体を突き放していて、お客さんにも何かを訴えかけるというよりは距離を置き、単純な動きの反復によって構成されている。ミニマリズムに近いのかなと思いながら見ていました。
松 尾:
たとえば、「つらい」と思っていることを軸に作ったとしても、「つらい」っていう振りを踊るというよりは、感情を切り離して、余白でそれを感じてほしい、と考えているかもしれません。まだ作品はふたつしか作っていませんが、自然とそういう作り方になっているような気がします。
高 嶋:
イヴォンヌ・レイナーなど、ミニマリズムのダンスに興味をお持ちなのかと思ったのですが。
松 尾:
特定のジャンルというよりは、ダンスについてはなんでも関心を持っています。たとえばダンサーとして出演する時に「つらい」「かなしい」ことを全身に出してやれと言われればそれをやりたいと思いますし、どんな要求が来ても拒否反応なく、おもしろがれます。観客としても、ミニマムに動く人よりはコテコテの人が好きだったり…興味と作品づくりは、ストレートにつながっていないのかもしれません。雑食なんですね、きっと。
高 嶋:
でも、作品づくりに関しては一貫した関心があるんだと思いました。『羅列する』は松尾さん自身のソロ作品でしたが、二つ目に作った『Fit back?』(2013)は出演者2名に振付をしたんですね。
松 尾:
最初は自分も出演するトリオ作品の予定だったのですが、稽古で見る側の立場にいると、自分が入っている姿を想像できなくなって、むしろ自分が出演しない方がおもしろいものが出来るだろう、ということで、途中からデュオ作品に切り替わりました。振付をしたというか…ムーブメントがガチガチに決まっていたという作品ではなく、ダンサーが即興的に間合いを取りながらパフォーマンスしていて、毎回違うことが起こるのを私が楽しんでいた、というような作品でしたね。私は構成を決めて、形は渡すけれど、その色付けはダンサーに任せる。ダンサーがつけた色について、リクエストをする、という感じでした。
高 嶋:
動きについては自由度が高かったということですが、作品全体の構成はきっちりとしていて幾何学的だと思いました。
松 尾:
彼らが舞台上にいる時間も決まっていて、2分、3分、1分…と、すべてキッチンタイマーでカウントしています。あるルールを設定した運動を反復していく中で、身体が厳密な繰り返しが出来ずにはみ出していく身体を見てみたくて、それを叶えるための構成はしっかり決めるようにしました。照明や音響などはかなり削ぎ落としたプランになっています。
高 嶋:
ルールとか構造がきちっとある中で、生身の身体がどうリアリティをさらけ出すか、それを見たいということでしょうか。
松 尾:
そうかもしれません。ただ、『Fit back?』は少し根性論のようなものが入ってきていたので、今回の作品ではそこに逃げず、仕組み作りに力を入れたいですね。ダンサー自身もお客さんも、冷静な状態で、でもはっとできるような、そういうものを見せられたらと。
 
帰ってくる場所としてのキーワード
松 尾:
あと私、あまりよくないことかもしれませんが、ダンスや演劇を見ていると、台詞を噛んでしまったり、ターンがうまくいかなかったりするような状態がおもしろいんです。ちょっとつまづいてしまった時の揺らぎが印象に残ってしまうというか…ひねくれてますね。(笑) ただ、演じている側もお客さんも両方意図していないものが生まれてしまった瞬間のおもしろさってあると思っていて、そういった部分も今回の作品の材料に含まれている気がします。
観客として観る時やダンサーとして出演する時と、自分が作品を作る時とで見方が変わるのですが、おもしろいムーブメントを発見して組み立てて作品を作る、という方法に、作り手としてはあまり興味を持てません。即興でやってみておもしろい形が見つかったからそれを使うっていうことはダンスでよくあることでもありますが、だったら稽古は必要なのかとか、振りを決めずに身体のきくダンサーに即興で20分踊ってもらえばできるんじゃないかって思ってしまいます。
だから、自分で作品を作る時には、帰ってくる場所、照らし合わせるものとして、なにかひとつキーワードを置いておこうとしますね。なんでもよくなってしまうというのは、不安というか。何を対象として見ていたのかということがなければ、最終的に作品を提示した時にも、何も返ってこないんじゃないかと思って。
高 嶋:

作品づくりは、コンセプトや創作ノートを書きだすところから始めますか?

松 尾:
そうですね。今の時点でなにがやりたくて問題はどこにあるかということを、一回一回考える時間を確保するようにしています。これは必要がないから今は置いておこうとか、要素の取捨選択も含めて。稽古がスタートして本番が近付いてくると、閉じこもっていくというか、思い込みがひどくなってしまうので、冷静なうちにできるだけ冷静になっておきます。
高 嶋:
「こわれる」っていう言葉はおもしろいなと思っています。一つの単純な身振りでも、繰り返すことによって身体も疲れてくるし、見ている方の意識も変わってきますよね。別の動作に見えてきたり、陶酔的になってきたり、リズムを感じ始めたり…
松 尾:
今回、動きを反復するかどうかは分かりませんが、見ている対象がどんどん変化していくという状態は、狙っていきたいところです。むしろ、反復や身体への負荷、あるいは言葉での説明といった方法以外でそういったところに持っていけるのか、試してみたいですね。実際には稽古してみないと、なにができてなにができないのかはわからないんですけど。かなり今回もシンプルになる予感はあります。関係性とかも今はほとんど興味がなくて。
高 嶋:
関係性と言うのは?
松 尾:
たとえば、ふたりが舞台上に立っていたら、動いていなくてもすでになにか関係性が生まれているんだと思うんです。見ている側も、なにか関係を探ってしまう。でも、それも排除したい。なので、ソロとソロを組み合わせたような作品を今はイメージしています。
高 嶋:
ふたりである必要性はない、ということですよね。ただ、ふたりいると、バリエーションの膨らみは出てくると思います。ひとりが見せられる身体は一度にひとつですが、ふたりいれば身体がふたつ。ひとりが10見せられるものを20に、もしかしたら相乗効果で30に増やすことができるかもしれません。
松 尾:
人間と人間の関係ということではなく、効果としての関係ということでしょうか。確かに、対象がひとつしかないと、それしか見ることができないですもんね。
高 嶋:
そして、どうしてもそのひとりの個人性に依存してしまいますよね。たとえば、『羅列する』と『Fit back?』にしても、構造は似ているけど大きな違いがある。それは、ソロ作品である『羅列する』では松尾さんの身体しかないから、そこから派生したものしか見ることができない。でも、デュオ作品の『Fit back?』では、提示されていたバリエーションがたくさんあったように思います。
 
とにかく試す 試す 試す
高 嶋:
作品づくりの時は、松尾さんからこうやってくださいという指示が出るのではなく、スタッフも含めて話し合いながら進めるんでしょうか?
松 尾:
そうですね。私もアイデアが浮かべば出しますけど、基本的には人から出たアイデアを、なんでもおもしろそう、やってみようってなるので、とにかく色々と試します。トップダウン的な作品づくりにはあまり興味がありません。自分がやりたいこと、見たいものからずれそうになった時はストップをかけますが、あとはやっている人の身体からアレルギー反応が出ず、満ちた状態であればOK、ということにしています。
あと、話し合いはかなりします。稽古時間3時間、ずっと話し合いで終わったこともありますね。今回も、そういった一緒に作品づくりをする人のレスポンスを大事にしていきたいです。私はよく、なにかを試してみたあと、「これどうでしたか?」って、かなりざっくりとした聞き方をします。こういうことをしたくてこれが見たい、ということを示してしまうとそれを意識してしまって幅が狭くなってしまう気がするので、なるべく可能性が多く残る形で問いかけをしたいと思っています。実際は不発に終わることの方が多いんですが、それでも数をやっていればひとつかふたつ、いい言葉が出てくるっていうわくわく感で作っています。
高 嶋:
不発だというのは、松尾さんが求めていたものと実際にやったダンサーが感じたものが違う場合ということでしょうか。
松 尾:
そうですね。想像したこと通りのことが起こることはほとんどないんですけど、これが実現するとは思わなかった!というような状態になることが理想で、不発というのは、ダンサーから、やっていることに対してアレルギー反応のようなものが出てきた時でしょうか。もっとダンサー自身がよく見えるように、本人がよい状態と言うよりは私がよいと思える状態になるまで、手を変え品を変え実験を繰り返します。『Fit back?』の時は、ほぼ不発でしたね。さんざん試したんですが、実際に作品に残ったのは序盤に取り組んでいたいくつかのピースで、あとはいったい何に時間をかけていたんだろう…という。私、勘がよくないんですよ。だから、100本ノックじゃないですけど、そうやって積み上げていくしかないんです。でも、その不発になった100本を経て見えてくることがあるので、自分にとってはそのたくさんの無駄も必要だと思っています。
 
- インタビューを終えて -
松尾恵美:
これからの作品の構想を語るという事に不安もありましたが、現時点(創作前)の頭の中をさらけ出すというのも必須行程であったと感じます。私の過去の振付作品を観てくださっていた高嶋さんに、外側からの率直な質問やご意見を頂き、返答を重ねて行く中で、過去の作品の印象と頭の中に描いていた次回作の妄想を照らし合わせていく充実した時間となりました。創作前という事もあり冷静に。また作品の構想以前に、ダンスにおいての価値観、何に対して美意識を感じるのかという事も合わせてお話できた事で、より創作に向けてのピント調整ができた様に思います。
高嶋慈:
松尾さんの制作スタイルは、創作メモを書く=作品制作に向かう衝動を言語化して客観視することが出発点にあったり、作品も構成やルールがかっちり決められたミニマルなものなので、稽古では、到達地点までの道筋がクリアな状態で進んでいるのかと思いましたが、「100本ノックのようにとにかく試すし、不発も多い」という言葉を聞いて意外でした。
今回の作品でも、「見ている対象がどんどん変化していくという状態を狙いたい。ただ、反復や身体への負荷、あるいは言葉での説明といった方法以外で可能なのかを試してみたい」と聞き、どのような過程を経て作品として立ち現われるのか、とても楽しみにしています。

PROGRAM2 ねほりはほり
6月7日(土) 12:30 | 8日(日) 15:00 (佐藤健大郎作品)
6月7日(土) 15:00 | 8日(日) 12:30 (松尾恵美作品)
場所 元・立誠小学校 2階 音楽室 | 上演時間 30分+トークセッション30分
料金 1,000円 (当日+300円)
※ねほりはほりセット券 1,500円【枚数限定/予約のみ】
webサイト予約フォーム || シバイエンジン

タイトル || 形創るこわれ
振付・構成 || 松尾恵美
出演 || 福岡まな実、大原涉平 (劇団しようよ)
インタビュアー || 高嶋慈