http://wedance-kyoto.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html
さて、2013年〜2015年の3年間で3回実施、17企画・27作品を行い、100名以上のアーティストが参加し、のべ1800名以上の観客に見届けて頂いたこのDance Fanfare Kyotoについて、今あえて言葉にして残したいことをずっと考えていました。いろんな言葉を出しては、これじゃない。とグルグル思考が回っていきながら、結局残った言葉は『やっぱり、ダンスはすばらしい。』です。
いろんな作品がありました。ダンス作品と断言できるもの、断言できないもの。どっちでもええかなと思うもの。Dance Fanfare Kyotoというダンスを前面に推していく様な企画名にしながらも、ダンスを疑いながら、若き運営メンバーが企画を立てていきました。ちょっとづつ紹介していきます。
まず、Dance Fanfare Kyotoの立ち上げの時、具体的な問題提起を企画として示してくれたのは、3年間「ねほりはほり」をディレクションしてきた和田さんです。「We dance 京都 2012」が終わった時に私が感じた、参加した振付家たちの《なんとなく》の作品性。それを打破できるプロセスをどうやったら設けられるのか、私自身も考えていた時に、Dance Fanfare Kyoto初めてのミーティングというか顔合わせの場で、彼女はダンスにおける《言葉》の危機感を大きく掲げてくれました。若い振付家の多くは、作品に対する《言葉》が希薄だと。
「ねほりはほり」立ち上げのことはここに。
http://dancefanfarekyoto.info/report/02_07/
そのような背景の中で、インタビュアーという他者に振付家が作品の話をすることに重点を置いた「ねほりはほり」という企画が和田さんの提案によって立ち上がりました。
この「ねほりはほり」は唯一3年間継続して実施した企画で、3年間で計7名、20代から30代の若い世代の振付家が作品の上演に挑んでいきました。そこで生まれた作品は、それぞれの振付家がテーマに向き合い、インタビュアーとの対話を通して自身が発言したことにも責任を持つような作品だったように思います。
ただ、個々の作品は様々なのでこの3年間の7作品を同時に語ることは申し訳なくもありつつ、共通する問題点は根深く存在したと思う。それは、7作品ともダンスという枠から外れない印象と、終演後の感想として、「面白い」というよりは「興味深い」という言葉になる作品が多かったと感じることです。
この《ダンスの枠》、そして《興味深いと面白いの違い》とは、どういうことなんだろうか。
振付家それぞれが、自身の興味を突き詰めよう作品を作る。しかも、「ねほりはほり」という企画の基本提案として、振付家は初めて一緒に作品制作をするダンサー達と作品を作らなければいけない条件もありました。
インタビュアーが入り、振付家がダンスそのものや、作品や興味について言葉にして、稽古で初めて一緒に作品作りを行うダンサーとのやり取りの中で、振付家自身が自分を再発見するような体験もあったんじゃないかなと、インタビューを読みながら想像することもできる。だけど、最終的には当初の自分の興味の枠からはみ出すことなく、その枠の内側にとどまったものを舞台上に乗せただけなのではという懸念が生まれました。作品を作っていくプロセスの中で観客という存在を意識することはあっても、観客の思考をどのように誘導させるかという視点は弱々しかった気がします。振付家が言葉で語っている興味は、個人的に理解するし共感することもできる。
でも、その言葉の先のダンスはなんぞやという疑問。
「ねほりはほり」は言葉の先のダンスを見つけるための、言葉による作業だったような気がします。そこにはむしろ、言葉で《理解できるダンスの枠》なぞ必要ないのじゃないか、観客の体感として振付家の強い意志を感じとることができる作品こそが必要だったのではないか。
言葉が意思や意図を伝えるものだとして、そこには伝えきれないものが存在している。
その上で、その言葉の果てに身体そのものがダンスとして立ち上がってくる可能性を秘めている。
そんなダンスが「ねほりはほり」で生まれなかったのはなぜだろうか。
もちろん「ねほりはほり」で生まれた個々の作品作りは丁寧であったと捉えたし、身体の衝動やダンサーの意識の流れを丁寧に観察し、そこからダンスといえるものを立ち起こそうとしていたことは理解できる。理解できることでの興味は生まれたが、手ばなしで面白い!という強い体感には個人的には至らなかった。
では、この企画の3年間の成果というのはどういうものなのだろうか。
ディレクションを担当した和田ながらの明確な問題意識、提案があり、それにチャレンジした振付家が、ダンスを作品にする行為と並行して言葉による対話の作業を行う。そこには身体、ダンスが、言葉の枠から飛躍し、作品を体現する可能性があったと思っています。ただ、この3年間では、その可能性は可能性のままに留まった。その飛躍や跳躍には、高度な身体的な技術、もしくは知的な作業が必要だと仮定すれば、再度7名の振付家(高木喜久恵、増田美佳、西岡樹里、佐藤健大郎、松尾恵美、佐藤有華、山本和馬)に作品作りをしてほしいと願っている。
それは、Dance Fanfare Kyotoという枠組みではなく、自発的な、彼・彼女らの意志によって。その際に必要であれば、また自身を「ねほりはほり」されるシステムを活用して。
言葉は他者に届くもの、それ以上に生の身体は他者に響くもの。それを信じてダンスを体感したいです。
「ねほりはほり」リハーサル写真:左から山本和馬、益田さち、遠藤僚ノ介
御厨くんはもともと現代美術に興味があった中でパフォーマンスという繋がりで演劇に辿りつき、そこから身体に興味を持ってダンスに手を出した人だと私は認識しています。そんな彼自身の経歴から立ち上がってきた「カケル×ダンス」。ダンスに他のジャンルをぶつけて対峙させるという試みは特に新しいことではないけれども、彼自身が出会ってきたものが、企画として他者によって試されるというプロセスに興味が湧きました。彼の発案に、『じゃあ、とりあえずやってみよう』という心持ちでスタートを切り、企画進行の緩さに叱り、慰め、意見交換をし、Dance Fanfare Kyoto vol.02での「音楽×ダンス」「美術×ダンス」「演劇×ダンス」3作品、Dance Fanfare Kyoto vol.03「美術×ダンス」の上演に至りました。ダンス、現代美術、音楽、演劇はもちろんそれぞれが個々のジャンル、表現で成り立つものであり、各アーティストが大切にしている物も違います。そのため、異なる表現が対峙もしくは共存したことによる問題提起が多くありました。
まず、vol.02での「演劇×ダンス」
「We Dance京都2012」「Dance Fanfare Kyoto vol.01」でも、演劇の演出家がダンサーと作品作りを行う企画はしてきましたが、あくまでも演出家とダンサーとの作品作りでした。御厨くんはそこに劇作家としての山崎彬(悪い芝居)を意図的に入れてきたと思います。
ここで現れた作品は、台本に描かれた台詞を発し役柄を演じる行為と、台本上のト書き部分の台詞のない箇所で身体のみで演じる行為が合わさったものだったように感じました。
ト書き部分の少ない言葉の情報から豊かな身体に移行していく際に、ダンスとも言える身体が生まれたし、そこで現れる身体の雄弁さこそがダンサーという存在の武器なのだといえた。
しかし、その反面、台詞を発する際にどうしても出てしまう不器用さが、身体をアンバランスなものにすることもありました。このように台詞部分とト書きのシーンで身体のありようがガラリと変わり、不自由と自由が共存しながら演じていく身体がストーリーの展開とともに移行する様は見応えがあった。終演後に、「ダンスを見たのか?それとも演劇を見たのか?」と訊かれたら悩むような、どちらの持ち味もふんだんに使った好印象を受けました。
技術というものが演じる、踊ることに必要になる際に、演じるという行為の技術は身体のどこに隠されていて、出し入れできるものだろうか。
踊ること、演じることの差異はなにか。検証すべき点は多いと感じました。
vol.02での「音楽×ダンス」について
バックグラウンドの異なる3名のダンサーが初めて一緒に振付けした20分ほどのピースを、一度無音で上演したあと、2組の音楽家がそれぞれ音をつけた状況で再演する企画を2日間開催、計4組の音楽家が参加した企画です。音楽家の演奏が即興性が高かったこともあり、かなり実験的な企画になりました。
正直なところをいうと、ほとんどのダンスにおいて、音楽の力は相当な物です。古典から現代まで、儀式から表現まで、すべての舞踊的身体には音楽が常に寄り添っており、その上でダンスが成立しているとも思えます。だから今回のように、ダンスと対峙するという形で音楽が入ると、ダンサーの分が悪くなると思いましたし、20分の上演ごとに起こる拍手は果たしてダンサーに対してなのか、音楽家に対してなのか、という問いもよぎりました。
もちろん、この企画は勝敗ではないし、相互関係があるからこそ成り立つプロセスですが、私自身もいち振付家・ダンサーとして、音楽が持つ強さをあらためて実感し、果たして振付はなんの為に存在するのか、ダンサーは振付を踊ることでなにを見せて、場を立ち上げるのかという問いも生まれました。
各回の上演ごとに、観客の反応が大いに異なっていたのですが、中でもDance Fanfare Kyoto vol.02の全体を通じて一番観客が沸いた瞬間がありました。それは、1日目に参加した音楽家の野村誠さんがダンサーに向けて『おまいら、ルール(振付)守ってんじゃねえよ』という発言をした時。その言葉が観客の賛同を受け、野村さんに対してダンサーがどのような反応をダンスで示していくか、見守る時間が発生しました。
あの瞬間、ダンスと音楽の対峙を見守る時間は、私には非常に強い体感と思考をもたらしました。無音で作られた「ルール=振付け」が、音楽という他者によって、どのように変化するのか。
そのシンプルな対峙が期待として成立する時間から、人々がダンスに寄せる期待の根元が見えた気がしたからです。その期待に応えることが、ダンスの強い在り方の一つだと気付かされました。
vol.02,03「美術×ダンス」について
これは「カケル×ダンス」の企画として2年間続けて開催したものです。
まず、1年目は美術は村田総一郎・ダンスは今村達紀で「visiting」の上演。
Dance Fanfare Kyotoで美術作家を誘うことも初めてでしたし、村田さんと今村さんにとっても初めての美術とダンスのコラボレーションということもあり、出会いから作品作りまで両者が丁寧に関係性を築こうとしているのが伺えました。そして実際の作品上演も、お互いを尊重して存在する様な、美術とダンスの淡い関係性が印象に残りました。
もちろん村田さんが創作した空間の作りは素敵だったし、それに埋もれないダンスも今村さんから発生していたのですが、両者がもっと混沌と共存してほしいという欲があり、それを御厨くんに伝えたところ、彼が次の年に企画されたのが、ペインターとダンサーのコラボレーション。
この2年目の「美術×ダンス」は鬣さん、神馬さんのライブペインティングと倉田さん、渡邉さんのダンスパフォーマンスを同時進行して行うものでした。
本番では、絵具という動きが予想できない素材が大量に使用されたため、絵具が付着しドロドロになったダンサーの身体がキャンバスの上で動く際に、リハーサルでは可能だった振付が、絵具のぬめりに足を取られ困難な振付けになる様子が、身体のリアリティを感じるダンスに繋がりました。同時に彼らがお互いの共通事項として選択した「スポーツ」というモチーフが、この作品をコミカルなものにさせていたようにも感じました。美術作家が空間を作り、その中でムーブメントを行うことでダンサーは必然的に物と身体という空間性を体感します。この時間がダンサーにとってどのような経験だったのかとても興味深いので、彼らの言葉を聞きたいと思っています。
「Don’t look back in anger. Don’t be long. 時化た顔で振り向くな、早くおうちに帰っておいで」
リハーサル写真:左から鬣恒太郎、渡邉尚、倉田翠、神馬啓佑、御厨亮
「Listen,And…/around kyoto 《ダンス》と《社会》を横断する。」
記録写真 :「火を囲み話す」(テントの中で火を囲み食材を焼きながら語らい中)
3年目にして初めてアウトリーチという企画が出ました。これは2年目に開催した「SIMPOSION」を見た川那辺さんが、自分の中でも無視できなくなった問題を企画化したものだと思います。
ちなみにここで川那辺さんの「SIMPOSION」の感想が読めます。
http://dancefanfarekyoto.info/report/02_04/
気づいて欲しい、考えて欲しいという思いは横暴かもしれない。でも、その横暴かもしれない思いを、できるだけソフトに包んで企画し、参加者に託していくような場を設定しようと考え抜いた結果、とにかく直接人と対話をするという場が生まれました。
3つのアウトリーチワークショップは火を囲む、作品をみる、町をあるく、というそれぞれ異なる設定で参加者同士が対話をするというもので、各回で話す内容は異なりました。ただ、その根本には生活というものがあり、生活の中で他者の声に耳を傾け、新しい興味や気づきに出会えること。シンプルだけれども重要な、表現の原点に身を置けたような感覚がありました。
生活と社会は密接なものです、その中でよりたくさんのものに実感を持って興味を持てる仕掛けを担うことが、芸術の必要性じゃないか。
人の話を聞くということは、ただ言葉を情報として捉えるのではなく、その言葉の背景を想像すること。そんなことを改めて実感を伴って気づかせてくれる企画になったように思います。
記録写真:青おにぎり×Dance Fanfare Kyoto
この企画はDance Fanfare Kyoto vol.03で、週末の開催時の観客の待合スペースを、竹宮さんがディレクションしたものです。京都市内の飲食店に日替わりで、パン、おにぎり、飲み物を出店してもらいましたが、本当にどれも美味しかった。
あと、古書店の店主に、DanceFanfareKyotoに参加するアーティストや観客の方が興味をもちそうな古本を選んでもらい、販売しました。かなり売れたみたいです。店主のセレクションが良かったということが一番のポイントですが、本という言葉の塊が来場者、参加アーティストにとって必要とされているものだと感じました。
そして、この会場は「ねほりはほり」の終演後のトークと「クロージングトーク」の会場にもなりました。
これまでの開催でも毎年トーク企画はありましたが、あらたまったトークだと思うと場の空気が硬くなってしまって居心地が悪くなってしまったり、発言者の言葉が宙に投げられるだけになっているような感覚があり、トークプログラムのあり方自体に悩んでいたのですが、今回、トーク会場をトカティブカフェにしたことは非常に良い決断をしたと思っています、。
そして、最終日にこの会場でクロージングトークを、川那辺さんファシリテートの元、運営メンバーやアーティストが観客と直接話をするという形で行ったのですが、私にとってはこれがDance Fanfare Kyoto vol.03のハイライトでした。テーブルを囲み、観客と話す。今回見た作品のこと、ダンスのこと、これからに期待すること。時間としては30分ほどの短いものでしたが、自分が15年ダンスを続けて気づけなかったこと、3年間Dance Fanfare Kyotoを続けても実現できなかったこと、そんなことが観客の口から出てくるのを目の当たりにしました。劇場に足を運ぶ観客が、いかに期待と鋭い視線を、作品に、舞台芸術に対して持っているか。私たちはこのような観客に作品を見ていただいているんだと、嬉しくも恐ろしくもなりました。観客という存在は、演出家や出演者よりも敏感に、作品を見るということを目的に場に身を委ねています。そのことが矢のように身体に突き刺さる対話を、場をディレクションした竹宮さん、トークをファシリテートした川那辺さんが作ったきっかけによって、実現できたこと。このことが、私の作品への思考プロセスを大きく変える機会になったように思います。
きたまりディレクション
企画サポート
私は3年間の中で毎年異なる企画を提案していきました。
vol.01 「lonely woman」
まず、Dance Fanfare Kyotoのオープニングプログラムとして黒沢美香の「lonely woman」の上演をしました。
とにかくはじめにこの演目を持って来たかった理由は、ダンサー以外のアーティストを誘いたかったことと、ダンサーに当事者として舞台に上がることを強要したかったことがあります。
この「当事者として舞台に上がること」というのは、非常に重要なことだと思ってます。
言葉もそうですが、身体というのは同じことを繰り返されるうちに記号化されていき、その記号を使えば良いという状態に陥りやすい。
なぜなら、こういうことをやったりこういう動きであれば《コンテンポラリーダンス》ですよね、といった記号化が進行しているような状況を感じたことで、ダンスに対する面白味をどんどん感じられなくなっていた私にとって、「身体の当事者性」が浮き彫りになるこの演目は、Dance Fanfare Kyoyoの決意表明を代弁してもらうものであり、オープニングはこの演目じゃないとダメだという感覚がありました。
いざ、出演者を決める時には運営メンバーや色んな方に相談して、さまざまなアイデアの中で、最終的に狂言師、ミュージシャン、俳優、ダンサー、高校生まで含めた10代から50代迄の16名を誘い出演してもらった、「lonely woman」は、今思い出しても極上でスリリングで、無慈悲な時間だったと記憶しています。
そのように感じたのは、観客と出演者の間に共通したルールへの理解があったからだとは思います。一つの例として、そもそも「lonely woman」のコンセプトとも言えるルール、【出演者はその場を30分間移動しない】ということが、こんなにも簡単に打ち捨てられるという事態は、これまでさまざまな場所で上演を重ねている「lonely woman」の上演の中でも、例がなかったのではないのでしょうか。【移動しない】というシンプルなルールを守るべき12人中6名があの上演においてそれを破りましたが、その移動のあり方に出演者それぞれの身体の説得力が垣間見え、また、ルールを守っている出演者や他の役割を担っている出演者が持っている表現への態度も身体から明るみになるような出来事になっていたと思います。しかし、この「lonely woman」の上演の中において、説得力ある瞬間を作ることができる強度の身体が見えたのは、むしろダンサー以外に多かったというのは、なぜなのか。ダンサーは身体的に自由と思われがちだか、表現としては不自由に見える状態に陥りやすいのではないか。表現の為の技術(見せる技術)とはなにかと自問自答しながらも、オープニングで「lonely woman」を実現できたことで、「身体とは?ダンスとは?」と問いかけるDance Fanfare Kyotoのスタートを踏むことができたと思います
上演後は『非常に面白い「lonely woman」だった』と『あれは「lonely woman」ではない』という意見が綺麗に二分されたのが、印象的でした。
私としては『これまでの「lonely woman」ではなかったかもしれないが、こんなものを観れたことが信じられない、忘れられない、衝撃的、怖くて面白くて、目が離せなかった2時間』でした。
vol.01 「演劇×ダンス」
We dance 京都で上演した筒井潤演出による「女3人集まるとこういうことになる」。3名の女性ダンサーが出演したこの演目は、チェーホフの「三人姉妹」を彷彿とさせる時間を、無言で、しかし身体が雄弁に語る作品になっていて、わずかな動きも目を逸らすことができない、何度でも見たくなるような、味わい深い物語だった。この「何度でも見たい」という気持ちと、元・立誠小学校の職員室だからこそ成立する空間性の魅力があり、Dance Fanfare Kyotoでの再演を依頼しました。
この再演にあたり、出演者3名のうち2名を新たにキャスティングしました。出演者を初演と変更したことで、出演者の身体の繊細な動きだけで行われる無言の物語は、初演から再演のあいだで変容していました。しかし、その変容がありながらも、初演と変わりのない作品世界が鮮度を保ちあらわれていたように思います。ダンスの場合、出演するダンサーが変わることで作品が変わることが多々ありますが、「女3人集まるとこういうことになる」は、出演者が変わっても作品世界を保持し、かつ、新たなキャストの身体にそれぞれの言葉を与える作品になっていました。沈黙で40分間続くこの作品の効果的な雄弁さは、なんだろうか、と今もずっと考えている。
物語を背景に作品が進みながらも、その物語を語る言葉は発話されることなく、無言で身体が背負っている状態。小さな身振りや視線の移動、ポーズの連続や、熱量の含まれない運動や行為の中で、すべての動きに意味(物語)があるのではないかと観客の思考を誘導させていく。
その中で、身体そのものが記号的にもなっていき、ただ美しいだけの瞬間も生まれる。
目の前のダンサーの印象を見逃さないように、とても新鮮な心持ちで直視しました。
村川拓也演出による「瓦礫」。この作品も3名の女性ダンサーと共に創作をおこないました。出演者を探すために5回ぐらいWSをしたのですが、Dance Fanfare Kyotoで出演者を探すためのWSを行ったのは後にも先にも村川さんだけ。非常にじっくり出演者を探す姿は、作品のリアリティをドキュメントとして見つけようとする、村川さんらしいプロセスだと感じました。
この作品の振付は、出演者それぞれが生活の為に行っているアルバイトや仕事を言葉と身体で再現するというものでした。労働を行う身体が舞台に上げられることで「社会に振付された身体」として記号化され、その言葉と身体が表現として成立する瞬間というものがありました。そして、作品タイトルの「瓦礫」という言葉は、それぞれの生活と日常の危うさを考えるきっかけになるようにもとれたと思います。
vol.01「演劇×ダンス」は物語と労働という素材で振付を行ったことで、振付の可能性とヒントが見えました。両作品共、丁寧に身体を演出し、動きの動機が明確、かつ、繊細な身体のコントロールがあり、観ている側に作品性も伝わるので、飽きることのない豊かな時間でした。だけど、作品を幾度か繰りかえし見る中で、その時間をダンサーが壊すかもしれない瞬間を期待してしまいました。もしかして、ダンスへの期待がそこにあるとも言いかえれるかもしれない。物語と労働という情報を振付として置き換えた中で、その情報から身体が解き放たれた瞬間の、意味はないが存在してしまう身体のリアリティを、常にダンサーに求めてしまう。しかし、その瞬間がきたら、きっと作品は壊れてしまうのだろうなという懸念もあります。そんなことを考えていたら、私自身が舞台芸術に求めているものは、作品性の強度よりも、身体芸術としての肉体の強度なのかもしれないと、思いはじめました。
企画サポート vol.01 「5'00” special program」
この演目は、京都ですでに行われている取り組みを、Dance Fanfare Kyotoの中でやってもらおうという企画でした。
「5'00" special program」は、元・立誠小学校の廊下や教室、図書室といったさまざまな空間にschatzkammerが提案したA4の紙による美術(紙の量も場所により異なり、その数は1枚から数千枚まで)が設定されており、その空間に、若手のソロから長年活動してきたカンパニーという幅広い世代のダンスアーティストが1日5組、2日間で計10組、各自5分の作品上演に挑みました。
初めてソロをつくる20代前半のダンサーから20年以上活動しているベテランまでが5分のパフォーマンスをするのを、観客が部屋を次々に移動して見るという、まるでアトラクションのような楽しみ方もできました。5分という枠は身体と空間を見せる上では短い時間ですが、見る側もそれぞれの作品の持ち味を感じようと興味を失わずに集中できる時間枠でもあり、作品、パフォーマンスの強度が明確にあらわれたようにも思いました。また、参加したアーティストたちそれぞれの異なるモチベーションとパフォーマンスが、今の関西の状況の縮図のようにも感じられました。
vol.1を全体フィードバック
1回目の開催としては盛りだくさんの内容で、反響も有りました。しかし、無事にvol.01の開催にこぎつけた安堵がありつつも、3日間の開催の中でプログラム詰め込みすぎたことで、16作品に参加したすべてのアーティストたちに企画趣旨を充分に伝えることができていなかった部分や、運営サイドのセッティングも細かな所まで行き届かなかったことなど、反省が多々残りました。
そして、その中でも私が一番引っかかったのは《言葉》の問題でした。これがなんなのか、ということを考えた中で、2回目のプログラムへ続く道が出来上がったように思います。
企画サポート「舞踏をめぐるコトバとカラダ」vol.02
舞踏レクチャー「舞踏をめぐるコトバとカラダ」についてですが、今企画はvol.01の「5’00”」のような地元のアーティストと連携して企画したい、また、「舞踏」が関われる企画をできないかと思案していた時に、舞踏家の由良部正美から丁度、関西の舞踏に関わる人達とこれからの舞踏について考える「舞踏をめぐる集まり」を立ち上げようとしているとメールがあり、その思いに共感し、その返答として共催プログラムのレクチャーを提案しました。
舞踏家が残してきた言葉の多くには謎が残されている。だからこそ次の世代が謎を紐解くために身体と思考の訓練をする、これは純粋に踊りを残していく方法かもしれません。その上で、その時代のコンテンポラリーであった舞踏を今、どう考えるのか。そして現在、舞踏に興味を持つ人達はどのぐらいいるのか、それを知りたいと思いました。
3日間で異なる舞踏家にレクチャーをしてもらいました、現在の身体の言葉、記憶の言葉、体験し模索する言葉といった具合に、日によって舞踏をめぐる言葉は異なりました。
しかし、私が気になるのは、その様々な言葉から、その言葉を超える肉体が存在する可能性があるのかです。舞踏自体を語る言葉は、もうすでに身体より先に進んでいるか、もう時代遅れの言葉になってしまっているか、言葉そのものが神話化されているのではないか。例えば、残された舞踏の言葉の多くは、説明でも伝える言葉でもなく、思考する為の言葉のような気がします。その思考の言葉を、あさはかな捉え方をしてしまうことで生まれる言葉と身体のズレが、舞踏といわれる身体表現を劣化させているような部分があるのではないでしょうか。たぶん、こういうことは舞踏だけに言えることではなく、他のジャンルの表現や日常、ダンスそのものにも起こることです。
先人から残された言葉を、どう受け止めて、今の身体と思考につなげるか。そういった意味において、非常に純粋な今の言葉と眼差しが見えてくるレクチャーだったと思います。
vol.02「SIMPOSION」 言葉の当事者性
今作品は東京デスロック主宰の多田淳之介演出により2013年7月に横浜と富士見で上演された作品、「SYMPOSIUM」を下敷きにしています。というか、京都で上演するにあたって出演者が変わっただけで、構成はほぼ同じといえます。9人の出演者を中心に、対話をする(目指す)作品です。今回の出演者は関西のダンサー、俳優、制作者、舞台芸術に関わりをもつタイ人留学生、そして関東から岩渕貞太さんを招いてキャスティングしました。
まず、なぜこの作品を「Dance Fanfare Kyoto」で上演する意味があると思ったか、企画ディレクターとして説明します。前提として、この作品はダンスではありません。そして演劇かと云われても、賛否を問うような作品ではあります。
私がvol.01が終わった直後に《言葉》の問題に引っかかったのは、《言葉》が記号性を持つことの扱いづらさがきっかけだったと思います。そんなことを考えていた中で、「SYMPOSIUM」の初演に私自身が出演するという形で、この作品に出会いました。
出演を経て、あらためて《言葉》の問題について考えました。Dance Fanfare Kyotoは実験の場であり出会いの場である。この《出会う》ことは、単に知り合いになるということではなく、もっと深い、自身を見つめ直す出会いであってほしいと願っています。つまり、《対話》を成立させないといけない。その為には、キチンと《聞く》という意識がどういうものか考えることが必要でした。《対話》の場では、他人の意見を聞き、かつ、それを素直に受け入れるだけではなく、聞いた上で考えて自分の意見を出すことが重要です。ただ聞くだけではなく、自分自身のもっている知識や経験を照らし合わせて、相手の《言葉》に対して考えるプロセスが必要だと思い至り、そのプロセスのひとつの提案として、「SYMPOSION」を上演する流れになりました。
上演は2日間で2回ありましたが、その中で交わされた言葉は本心でもあるし、本意ではない言葉もあったようにも思えます。出演者それぞれがテーマに沿って発言していったけれども、彼らの中では発話する勇気のない言葉のほうがより多く存在しただろうし、おそらくは観客の中にもたくさんあったと思います。実際に観客が発言することも2回目の上演中2回ありました。それは、出演者が話している中で、観客の中の思考が、聞いて考える状態になり、さらに身体から声を出したいと思うからこその発言であったと思います。その衝動が見えたのは非常に強い瞬間であったし、その発言から出演者を離す演出をした多田さんの行動には、この演目の作品性を強く提示する覚悟も感じました。
「SYMPOSION」は賛否がある作品です。その賛否そのものが、対話に繋がる可能性を持ったことだと感じていますし、その対話の中で自分の思考が変化する瞬間が非常に重要なポイントだと思っています。
もしかして、《言葉》は《カラダ》以上に不安定で、移ろいやすいものなのではないでしょうか。発語した瞬間に感じる《言葉》の重力は、《カラダ》より軽いのではないか?
《言葉》をここに存在させて、強いものにするにはどうしたらいいのか。他者を見つめ、本当の《言葉》を見いだすプロセスは、これからも観客と出演者、個々の中で続けていてほしいと思っています。
vol.02を全体フィードバック
vol.02の開催は参加アーティストにとって非常に良い機会、出会いになったように感じました。それぞれの企画のチームが独立しながらも、往来している。しかしながら《観客》という存在に対しての具体的な意識が希薄にも感じました。
そこで脳裏によぎったテーマは、「言葉から身体へ、そして観客へ」。
いよいよ3年目のDance Fanfare Kyotoに関してです。
これまでWe dance京都、Dance Fafare Kyoto vol.01、vol.02を開催する中で、私が企画するものには毎年関東からアーティストを呼んでいる状況がありました。もちろん、テーマや作品の内容で呼ぶ必然性を感じていたからこそでしたが、結果的に3年目にして初めて関西の演出家、振付家だけで開催することになりました。
「ダンス、なんや?」
塚原悠也「Hurricane Thunder / Super Conceptual Dance no.001
塚原さんが作品を作ったいきさつは、特殊枠みたいなものです。
vol.02開催時に『レポートを誰か外部の人に書いてもらったほうがいいよね』と運営メンバーで話し合い、批評家ではないけどもダンスの経緯を知っている人で、良いことも悪いこともはっきりと言語化してくれる人がいいな、と思案していたら、塚原さんに白羽の矢が当たり、これを書いてもらいました。
http://dancefanfarekyoto.info/program/03_02/
最終的には削除されていますが、実はこのレポートの初校、最後の一文に『来年はやるし』みたいなことが書いてあったことが運営スタッフで話題になり、『じゃあ、やってもらいましょうよ!』みたいなレスポンスで始まった企画です。お互い同じ時期にダンスボックスのボランティアスタッフとして出入りしていた塚原さんとの10年以上の付き合いの中で、今、私からダンス作品を作ってくださいというのは、なんだか妙な気持ちでもあり、また、人として出会い直すような刺激的な時間でもありました。ちなみに作品上演に至る交渉はここで一部ご覧いただけます。
http://dancefanfarekyoto.info/report/03_03/
個人的にこのメールのやり取りでハッと思ったこととして、彼が《振付》を《細かい部分の動きのデザイン》としてクレジットを提示したことです。私は『なぜシンプルに振付といわんのだ、ややこしいやっちゃ』と内心思っていたのですが、後日、自分の過去の活動を整理していて見つけた10年ほど前のインタビューを読み返したら、『自分にとってダンサーに振りつけるのはデザインみたいなもの。身体を使ってするデザインだと思っている』と自分で言っていて、忘れていた記憶を呼び起こされました。ちなみにこれ
http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000118
そこで《ダンスの制度》と塚原さんが言った言葉に対して、自分がいかに無意識に活動してきたかということに気づかされました。思い返すと、ダンスをダンスだと思わずに、舞踏を舞踏だとは知らずに、17歳の時にたまたま身体表現という言葉に惹かれて、舞台芸術に足を踏み入れた私は、『なんでこんなことするの?』という疑問がダンスに対して、ずっとあったように思います。けど、その疑問がいつのまにかなくなるように、ダンスに対して疑いを持ちながらも、どこかその制度を無意識に受け止めていた。Dance Fan-fare Kyotoの始まりは、その無意識に制度にのりながら活動を続けられることへの疑問を行動に移したという背景もありながらも、それでもダンスに対して盲信である。という自分自身の問いにもなった気がします。
リハーサル写真:左から松見拓也、塚原悠也、今村達紀、三ケ尻敬悟、小林正和
(この動きのデザインは本番では登場してないです)
さて、塚原さんの作品の上演に関してですが、面白味と退屈が往来するような時間でした。退屈な時間は目を凝らせば面白く、面白い時間はよくみると脈絡のない行為が存在していて、ぼんやりと見ていてはすべてが流れていってしまう、という印象を受ける中で、彼らが観客に託す物はなんだろうかと考える時間になりました。個人的な作品のハイライトは、作品クレジットには出ていないですが、中盤のピアノを演奏するシーンでcontact Gonzo設立メンバーのダンサー・垣尾優さんが出現したことです。過去と今が交差する、なんとも言えない瞬間でした。この作品は、私からの「ダンサーと作品作りをしてほしい」というリクエストと、塚原さんの「contact Gonzoで作りたい」という希望の狭間で立ち上がりました。垣尾さんの登場は、「ダンスに物申す」が作品創作の始まりだったcontact Gonzoデビュー、塚原さんの意思表明を思い出しました。あの時は『おいこら、なめんなよ』と思ってごめんね。
あと、打ち上げでcontact Gonzoのメンバーが『すんごいアウェーな現場だった』との感想をくれました。これは主催側として反省多々の言葉でしたが、それを隠さずにきちんと伝えてもらったことで、場の作り方をもう一度考えるきっかけになるし、その言葉の背景にあるcontact Gonzoのこれまでの活動とこれからの展開には期待しかありません。《戦う》という表現は好きではないのですが、こいつらcontact Gonzoは戦っとんな。用いる武器は異なるけど、私は私で戦っているのかもしれないなぁ。
「ダンス、なんや?」
上田誠 ダンスコメディ「呼び出さないで!アフタースクール」
リハーサル写真:稽古初日、ダンサーに演劇のレクチャーをする光景 (左・村角ダイチ/右・上田誠)
上田さんにダンスコメディを作ってほしいと、Dance Fanfare Kyotoを立ち上げた当初から切望していました。いつ頼めるかとずっと柱の陰から伺い続けて、3年目にやっと実現しました。なんで上田さんに作ってほしいと思っていたか、振り返ってみます。まず、ヨーロッパ企画の本公演を初めて見たときに感じた、空間と人が面白い、という純粋な感想がありました。その後、上田さんとお話しをする機会が何度もあり、彼の作品の作り方を聞いた時、「空間から設定して、そこでの役者のエチュードから始まる」と伺って、とてもダンス的なプロセスだなという印象を受けたことが、そもそものきっかけだったと思います。
さて、この上演に関してですが、一言で、非常に素晴らしいものが出来上がったと思っています。観客という存在を常に意識し行うコメディの手法とストーリーのバカバカしさの中で各出演者の持ち味を生かし、そしてダンスに対する普遍性をきちんと入れて、コメディ作品として成立していました。この作品は、上田さんのダンスに関して無知な所から始まったと思います。稽古の中で、少しづつダンスはこうらしい、という彼の発見がそのまま作品内に散らばっていて、その素直な感覚が多くの観客の賛同を得た作品になったような気もします。細かく言えばもっとレベルアップできる要素は勿論あるのですが、純粋に笑える、面白いと思える作品になりながら、最後に少しダンスの課題ものぞかせる、粋なこともしてくれました。そう言った細かさが、まさに巧みだなーと本当に感心してます。上田さんがこれまでの経験の中で使ってきた演劇とコメディの手法が、ダンスを新鮮にし、観客に情報を伝え、意味などないものに意味をもたせていく、それも押し付けがましくない程度に。素晴らしかった。この作品に賛辞を贈りたいです。
ある種のわかりやすさを全面に出しながらも、そういった気持ちにさせてくれる作品は稀だと思います。この作品の今後の可能性について、今、真剣に考えています。
身体と言葉の提案、提案から可能性へ
2012年、突き動かされるように始めようと思ったこの企画。正直どうなるかなんて全く想像できずに、とにかくダンスが沢山のものや人と出会い直す必要性を感じ、その提案ができる機会を作らなくてはいけない、なによりアーティストとして行動しなければいけない。そんなことを思い、人と人を繋げながら実施しました。
「We dance京都2012」の後に、とにもかくにも『こういうこと続けなあかん』という使命感が強く残ったものの『一人でできることではない、誰かに相談しなければ』と思い、当時のアイホールのディレクター小倉由佳子さんに相談したら、『同世代の人と一緒に考えられた方がいいよね?』と言われ、会ったのが川那辺香乃さん、川那辺さんに会った時に『ちょっとこの子呼んでみよう!』と呼ばれたのが和田ながらさんでした。
その後、小倉さん、和田さん、川那辺さん、私の4人でミーティングを重ね、Dance Fanfare Kyotoという名前が決まり、第1回目の開催準備に入り、4企画中の3企画を担当していた私がひいひいしていた時期に、たまたま見に行ったパフォーマンス作品の手伝いをしていた御厨くんに『こっちも手伝ってほしい』と声をかけて、vol.01の開催になりました。その後に小倉さんがにこやかに後ずさりした中で、竹宮さんが走りこんできて、2回目の開催。私が最年長30代で、他のみんなが20代のフレッシュな運営チームがいつのまにかできていました。
この5人の運営メンバーのバックグラウンドはいずれも異なり、わずかに舞台芸術という重なりの中で、ダンスという言葉をツールとして、それぞれの興味をどう試すことができるかという実践であった気がします。
もちろん運営メンバー同士も最初から気が合うわけではなく、徐々に対話を重ねることでお互いの考えを掘り下げていきました。こうやって続けた3年間の活動の中で、運営メンバーの5人がお互いに刺激を受け、各自の活動に繋げていけるものも発見したし、それぞれの中の意思、思考が発展するきっかけになったと思います。
Dance Fanfare Kyotoは、フェスティバルというような名目にしていません。あくまでも実験の場、出会いの場として続ける中で、『アーティストの為だけの実験の場なのか?』という問いを常に突きつけられてきました。それに対しては、そうではないともいえるし、そうですともいえる。
そうではない、といえるのは、プログラムを立てる時に、もちろん観客を意識しています。運営側の無茶振りに真摯に応え、強度のある作品を創作してくれるアーティストに声をかけています。
その上で、そうです、といえるのは、私自身がアーティストとして自分に足りない部分を整理し身につけていく為に企画を進めていった気がしているからです。
同じ形式で行うことを継続する努力より、常に変化し、鈍感にならずに時代と状況を観察し、必要だと感じる行動を起こすこと。そんな初歩的なことを、Dance Fanfare Kyotoをつくる実験と称して3年行ってきました。その結果、たくさんの参加者が次の創作に繋がることを行っていると思います。そういう意味で、Dance Fanfare Kyotoはあくまでも実験を通して人々が出会う場でした。
始まりはこれからだと思っています。人と人を繋げる、地域と地域を繋げる活動を起こしていくことで、舞台芸術が社会にとって必要だと思える状況の為に、多くの課題はあります。
だからこそ、知性と身体を培い、行動あるのみ。
これからもDance Fanfare Kyotoは次の展開を視野に入れて、さらに実験を重ねていきます。
最後になりましたが、3年間の活動にご支援、ご意見、ご協力いただきました方に感謝申し上げます。そしてなにより、ご来場下さいました観客の皆さん、たくさんの無茶振りに応えてくださいましたテクニカルスタッフ、参加アーティスト、当日の進行にご協力いただいた方々と運営メンバー、切磋琢磨した一人一人の《人》に感謝と、『これからもよろしくね』という愛想を振りまいて、3年間を振り返る言葉で締めさせていただきます。
『やっぱり、ダンスはすばらしい』
記録写真:Dance Fanfare Kyoto vol.04公開企画会議
AUTHOR
きたまりきたまり
ダンサー・振付家・「KIKIKIKIKIKI」主宰。 「We dance 京都2012」ディレクター他、ダンスシーンの活性化と舞台芸術の可能性の広がりを目指し、2013年「Dance Fanfare Kyoto」を立ち上げる。2015-2016年度アトリエ劇研アソシエイトアーティスト。 (撮影:相模友士郎)