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高嶋慈→高木貴久恵 インタビュー (1回目) 5月3日(金)京都 四条烏丸周辺
高木貴久恵さんの作品のインタビュー初回。事前に高木さんのふたつの振付作品の映像をご覧になっていた高嶋慈さんが、クリエイションの方法やプロセスについて、ひとつずつ丁寧に整理をしながら、 高木さんの言葉を引き出していきました。

 
- 「いいダンサー」ってどんな人? -
高 嶋:
今日は初回のインタビューですし、また作品作りが始まる前の段階でもあるので、高木さんがダンスや振付をされるようになった経緯や、ご自身のダンス観といったことについて伺いたいと思います。 もともと踊りはなにかやっていらっしゃったんですか?
高 木:
小さいころバレエをやっていたんですが、すぐに辞めました。白いタイツとチュチュを履いてっていう教室の雰囲気にどうしても馴染めなかったんです。
高 嶋:
京都造形芸術大学の情報デザイン学科に在学中は、身体をモチーフにした美術作品を作られていたとのことですが、それは具体的にどういう作品だったんですか?
高 木:
昔から、自分の肉体ってものを信頼できなかったんですね。他の人から自分が見えているかどうか、確信が持てない。小さい時のトラウマから来てるんですけど。私のものなのに、私でさえ信じられないこの身体というものが、いったいどういうものなのか、常に疑問でした。そこから、たとえば記憶や皮膚など、いろんな切り口から、自分の身体という不確かなものを、他の確かなメディアに置き換えていくっていうことで制作をしていました。
高 嶋:
その後、dotsへの参加を経て、ここ2、3年で自分のダンス作品を作るようになられたとのことですが、その動機はどのあたりにあるんでしょうか?
高 木:
まず、振付がしたかったんです。所属しているdotsというカンパニーでも、出演もしているんですが、4年ぐらい前から振付としても参加していました。ただ、dotsの場合は、演出家がちゃんといるので、最終的には全て委ねる形です。なので自分の振付作品として発表したいという思いが強くなってきました。
高 嶋:
最初の作品は『あなたの輪郭はいつも美しい』〔2012年5月19日・20日@アトリエ劇研〕ですね。共演者は、どのようなきっかけや基準で声をかけたんですか?
高 木:
4人のうち3人は、今まで一緒に作品に参加したことがあるメンバーでした。残りの一人は、自分が観客として観ていて、いいダンサーだと思っていた方で、いつか自分が作品を作る時はぜひ出てほしいと思っていたんです。
高 嶋:
「いいダンサー」という言葉が出ましたが、高木さんにとって、それは具体的にどんなダンサーですか?
高 木:
まず自分と正反対のものを持っている人、ということでしょうか。私自身が、あまり力強さがないんです。なので、外に強いエネルギーを出す人を求める傾向があります。
高 嶋:
力強さっていうのは、舞台に立った時のことですか?
高 木:
抽象的な言い方ですが、エネルギーの放出の仕方とか、存在感が強い人。
高 嶋:
それは、動いてなくても、究極的にはただ立っているだけでも、そういった印象を与える人でしょうか?
高 木:
逆にそちらの方が大事かもしれません。動いてない時にも、目が行ってしまう人です。
 
- 振付に用いる言葉 -
高 嶋:
振付を作っていく方法としては、高木さんが最初から細かく決めていくんですか? それとも、指示や設定を与えた状態で即興的に動いてもらって、出てきたものをサンプリングしていくような形でしょうか?
高 木:
まだ2作品ですが、どちらもあります。『あなたの輪郭はいつも美しい』はサンプリング性が強く、『Naked a.room』〔2013年1月18日・19日@Art Theater dB 神戸〕は私が細かく決めた部分が多かったです。
高 嶋:
振付をする時は、具体的な言葉を使いますか?
高 木:
使います。
高 嶋:
それは例えば、足をここまで上げる、というような具体的な指示なのか、あるいはイメージを喚起させるような言葉を投げかけるのか、どのような言葉を使いますか?
高 木:
どちらも使いますが、どちらかというとイメージや感覚的な言葉を使いやすいので、具体的に言うように気をつけています。
高 嶋:
感覚的な言葉というのは、例えばどういうものですか?
高 木:
擬音語が多いですね。「ふっ」とか、「だだだだ」とか。あとは、すごい広いところにいると仮定して、など、情景とか状態を投げることが多いですかね、液体のように、とか、ボールが身体の中を回っている、とか…
高 嶋:
そういう言葉って、どこから出てくるんでしょうか?
高 木:
自分が踊る時にそういうイメージを作って踊ることが多いので、今までやってきたことの引き出しから、これはこういう質感だなとか、こう言ったらイメージに近くなるかなってことを、自分の身体感覚に近いところから出しています。ただ、伝わらなくて混乱させることもあります。例えば、自分の思っている広い場所と、その人のイメージは違うので、すり合わせるのが難しいです。ただ、それが逆に裏切られた時に、お互いが知らないダンスが出てくるような気がします。
高 嶋:
よく、ダンサーが「身体の声を聞く」という言い方をされますが、それがどういうことなのか、自分はダンスをやらないからこそ、知りたいです。それはどのような状態のことを言うのでしょうか?
高 木:

ふたつパターンがあると思っています。ひとつは、稽古中に自分の身体を観察するというか、動きたいからこう動くんじゃなくて、今日はここの調子が悪いから、こう動いたらどうなるかな、とか。そういう時は、自分の身体と対話している感じがあります。

もうひとつは、本番中です。もちろん決められた振付などがあってそれを順にやっているんですけど、今初めてその踊りをやりました、っていう状態に身体がなった時は、自分の身体や空間とキャッチボールしているような感じになります。
 
- 最初の作品から、次の作品へ -
高 嶋:
高木さんがこれまで、ソロではなく複数人での作品を作っているのは、ダンサーを動かすということより、もっとコミュニケーションを取りたいってことなんでしょうか?
高 木:
それはすごくありましたね。特に初めての作品(『あなたの輪郭はいつも美しい』)は、かなり個人的な思いから出発した作品なので、それを出来るだけ分散させて、軽くするには人数が必要だなとも思っていました。
高 嶋:
個人的な思いが出発点ということですが、それは共演者に話しましたか?
高 木:
そこが一番難しかったところで、本当に自分の思いが強かったんです。これを吐き出さないとどうにもならないっていうような衝動があって、それをある日、稽古場であるダンサーに話したら、「その思いは自分には関係ない」って言われたんです。言われた時はすごいショックだったんですけど、逆に、その関係性じゃないと作っていけないのかって思ったんです。自分の思いをダンサーに背負わせるってことは必要のないことで、あんまり訴えるとそのことによって逆に不自由になってしまうということがわかりました。
高 嶋:
その時動機として抱えていたものは、作品を作ることで変化がありましたか?
高 木:
もうこういう作品はつくらないって思いました。そういう意味では、自分にとっては通らないといけなかった作品だと思っています。作品を作る自分と、生きている自分との距離がとれるようになったかなと。
高 嶋:
上演中に踊っている時は、動機になったことを考えていましたか?
高 木:
考えたくなかったんですけど、考えてしまいました。自分が振付をして、かつ出演するという切り替えが難しかったです。ダンサーって、舞台の上で作品に対してどれだけ無責任になれるかが重要で、振付家は作品に責任を持つことが重要だ、って私は考えているんですが、自分の中でその切り替えがうまくいかないと、思いに引きずられて作品がどんどん内にこもっていってしまう。作ったものを俯瞰できるぐらいの距離感で踊るのがいいって思うんですけど…。
高 嶋:
『あなたの輪郭はいつも美しい』が1作目だったこともあると思います。作り手でもあり出演者でもある、自分が二人いるってことですよね。2作目『Naked .a room』の時は、そういった立ち位置について変化はありましたか?
高 木:
ありました。もともと自分が舞台に立つってことが肯定できなくて、いつも次で最後って思いながらやってたんです。「あなたの輪郭はいつも美しい」を作った後、それがやっぱりしんどくて、もう作ることだけに専念したいって思ったんです。『Naked .a room』も、振付をするために企画(「ダンス留学@神戸」)に参加したんですが、いろいろな条件が重なったこともあり、自分が出演した方がスムーズにいく、ってなった時に、逆に舞台に立つ楽しさを初めて知った感じがありました。あの作品は音楽も照明も最低限で、とにかく身体だけで見せるっていうのが自分の目標でした。あらためて自分の身体を見直す時間でしたね。
高 嶋:
それは、自分の身体に対する肯定感ですか?
高 木:
諦めだと思います。肯定することを目的にしてしまうとしんどくなってしまうので、もうちょっと飄々とした状態で身体と付き合える気がしました。
高 嶋:
私は映像で拝見しただけですが、「あなたの輪郭はいつも美しい」は時間も長くてダンサーの人数も多いんですけど、「Naked .a room」の方が作品としての強さがあると思いました。時間は短いしダンサーも二人だけなんだけど、削ぎ落とされて強くなっている感じがしました。あと、作品の中で追求していることとして、いかに作為的でなく舞台の上に立てるかっていうことがあったかと思います。身体がそこにあり、他に動いている人がいたら、どう反応するか、というような。
高 木:
まさにそういう作り方をしました。人が隣にいることで二人の間になにかが起こる、それって普段は見落としているようなすごい小さいことだったりするんですけど、それをどれだけ楽しめるか、そういうことを稽古場で話しながら作りました。動きたくない時は動かないし、ちょっとしたことでもなにかの動きにつながる可能性があれば、そこからダンスになるかもしれない。
高 嶋:
かなり共演者に委ねていた部分があったんですね。
高 木:
そうですね。最終的には私が決めるんですが、制作しているプロセスの中では、回り道をしながら、対話を重ねながらやっていました。
 
- 人類の代表が、今、目の前にいる -
高 嶋:
大きな質問になるんですが、ダンスの面白さってどういうところにあると思いますか?
高 木:
ダンス以前に、「人」が面白いなって思っていて。人の身体をメディアに使った表現って本当に飽きません。お客さんとして観ていて素敵なダンスだなと感じる時は、もし私が宇宙人で、ダンスの概念も持たずにこれを見たら、「人間」について理解するだろうな、って思う時です。それは本当に心揺さぶられるような時にしか起こらないんですけど、よいものに出会った時は、「人類の代表が今目の前にいる」っていう感覚になります。同じ人類としてすごく勇気づけられるというか、人として生まれてきたことをすごく肯定できる瞬間が、ダンスを見ているとたまに訪れる。それがダンスっていう表現を私が信頼している部分であり、面白さだと思います。
高 嶋:
自分の作品でも、核にしているものはありますか?
高 木:
舞台に立っている人も、目の前にいるお客さんも、肯定したいなとは思います。自分にとっての真実として、人が一人っきりで死んでいくってことがあります。そのことを共有したいというと、少し違うのですが、それをみんな背負ってしまっているということを受け容れたいと思っています。
高 嶋:
お客さんも肯定したいっていうことを、もう少し詳しく教えていただけますか?
高 木:
同じ時間や空間を共有するってことだけではない気がします。理想は、お客さんと一緒にもうひとつ違うところに行けたらいいなって思うんですよね。作品を見せて、何かを感じてください、ということではなく、何かをやるので、ここに見せるものだけではないところにお客さんと一緒に行きたい。
高 嶋:
それは、舞台からお客さんに投げかけたものを、観た人に自由に解釈してほしいとか観た人の中に世界が広がってほしいということとは違いますか?
高 木:
それもそれであるんですが、例えば、生演奏を聞きに行くと、音楽を演奏している人は楽器に奉仕して、観客も聴きに行っているんだけれど、そういう関係の向こう側に、音楽そのものが誰のものでもなくなることがある。音楽ってそういう風に違う次元に行くことができる表現だと思っているんです。ダンスもそれに近いと思うんですよね。あるものを見たり聞いたりしてるんですけど、それを知覚しながら、例えば観ている人の記憶と一緒にもうひとつ違うところに行けたら、それは素敵な作品なんじゃないかなと思います。
高 嶋:
もうひとつ違うところに行く感じというのは、今まで見たことのないものが見えてくるという体験なのでしょうか?
高 木:
記憶が揺さぶられるもの、ということかもしれません。自分の記憶、見ている人の記憶に、作品がリンクする瞬間ってその人の中でなにかが起こってると思うんです。
高 嶋:
高木さんが見たことがある中で、具体的な作品を挙げることができますか?
高 木:
ピナ・バウシュの『カフェ・ミュラー』でしょうか。私があの舞台の中にいてもあのように行動するだろうなって、何の違和感もなく惹きこまれました。自分から余計なものが剥がれ落ちていって、自分にとって一番大切なものを思い出すような感覚になりました。舞台を見にいくと、なぜこの人は踊ってるんだろうって思うことがよくあって。動機が分からないと入っていけないんです。動くきっかけとかが、明確にわからなくても、動く一歩手前の衝動みたいなものが納得できないと、なぜそうなるのかがわからないんですよね。
高 嶋:
作品を作る時も、ムーブメントありきで作るというよりは、動機付けから始まりますか?
高 木:
そうですね。そこから始まります。
高 嶋:
そうした設定や動機付けは、共演するダンサーと話し合って決めるんでしょうか?
高 木:
そういう場合もありますが、だいたいは自分で決めておきます。作品を立ち上げる時に、まず誰がどういう状態でいるかっていうことを決めます。
高 嶋:
その設定は、どのように決めるんでしょうか?
高 木:
「あなたの輪郭はいつも美しい」は、「人間はすべて暗い森である」っていうサマセット・モームの言葉を出発点にしました。そこから、まずいわゆる森と、人の中にある森ということを、漠然とした絵のようなイメージから、たとえばこの人とこの人は初めて会うのか同じ時間にいるのか、といったような、演劇のようでもありますが、ある程度設定を自分で用意しました。「Naked .a room」の時は、むき出しのところに雨が降っているっていうイメージがあって、そこに女性が二人いるとしたら、私たちは誰で、どんな関係でっていうことを考えました。
 
- インタビューを終えて -
高 木:
ことばにすることで、自分がこう考えているのか、と逆に発見があるような感じでした。 話すうちに、高 嶋さんに伝わってほしい、という思いがとても強くなって、作品を創る、それを受け取ってもらう、というのはこういうことなのか、と妙に納得しました。作品を創る過程では多くの言葉を使いながらも、ひとつひとつに注意をむけることは難しく、きっと多くのエッセンスが取りこぼれているように思います。今回の企画が、普段ならば通りすぎていた何気ない自分の思考に気づき、客観的に向かえる機会になると思います。かなり緊張しましたが、、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。クリエーションも始まりましたので、平行してこれからどんな作用が起こっていくのか、とても楽しみにしています。
高 嶋:
高木さんがダンスに至るまでの経緯、以前に振付した2作品について、ダンスの面白さについて、など様々な視点からお話を伺うことができ、とても充実した時間を過ごさせていただきました。特に印象に残った高木さんの言葉が、振付と言葉の関係についてと、ダンサーと振付家の責任についてのものです。動きのイメージとして、「身体の中をボールが回る」といった言葉が出てくるのは、自分は普段そのような感覚で自分の身体を捉えることをしないので、面白いと思いました。そうした言葉は高木さん自身の身体経験から出てきた言葉であるため、うまく伝わらない場合と、逆に思いがけない動きを生み出す場合があるという話を聞いて、振付とはダンサーと振付家の間のコミュニケーションであると思いました。また、作品におけるダンサーと振付家の関係についても、「ダンサーは、舞台の上で作品に対してどれだけ無責任になれるかが重要で、振付家は作品に責任を持つことが重要だ」という明確な言葉を聞くことができ、とても納得しました。

PROGRAM4 ねほりはほり
7月6日(土) 15:00開演 (高木作品のみ上演+トーク)
7月6日(土) 17:15開演 (西岡作品のみ上演+トーク)
7月6日(土) 19:45開演 (増田作品のみ上演+トーク)
上演時間 各回60分 (作品上演 約30分+トーク 30分) | 上演場所 音楽室
定員
各回60名 | 料金 各回500円 (当日+300円)

7月7日(日) 15:00開演 (ねほりはほり3本立て) ※トークなし
上演時間 約90分 | 上演場所 音楽室 | 定員 60名 | 料金 1,500円 (当日+300円)
webサイト予約フォーム || シバイエンジン


タイトル ||
「夢見る装置」

振付 || 高木貴久恵  出演 || 重里実穂 | 松本成弘  音楽 || 中川裕貴
インタビュアー || 高嶋慈

人は誰でも夢を見る。夢を見ている、ということは生きているということだ。 目が覚めた時、それは残像のように身体にこびりつき、はかなく消え、再び意識の奥に葬られる。この、極めて個人的で曖昧なものを記録し、他者の身体というメディアに定着させることで、そのイメージはもうひとつの[現実]として現れる。