interview 増田美佳作品 ねほりはほり 《つくっている最中・1》 | PROGRAM |DANCE FANFARE KYOTO

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三田村啓示→増田美佳 インタビュー (2回目) 5月23日(木)京都 出町柳周辺
インタビュアーの三田村さんが、「式日」6回目の稽古場を見学してからのインタビュー。
作品の具体的なイメージや稽古の方法についての質問が重なっていきます。ただ、まだまだクリエイションも途上。 振付家が言葉を探し、インタビュアーが問う言葉を迷う、沈黙の時間もありました。

 
- 具体的なシーンづくりの準備 -
三田村:
今日が6回目の稽古ということですが、進度としてはどのくらいですか?
増 田:
現時点では、具体的なシーンを作るような稽古はしていません。モチーフのようなものは一切使わずに、思いついたことをダンサーに伝えてやってみてもらったり、ベースになる身体を作るための稽古をしています。
三田村:
今日も半分基礎稽古みたいな感じでしたか?
増 田:
前半半分はそういう時間でした。三田村さんが稽古場を見に来られたあたりからは、初めて、舞台で使ってみたいと考えているモチーフを持ち込んでみました。ダンサーには、今はそこまで考えこまず、そのモチーフからどういう動きが生まれるか、即興的に動いてもらった感じです。
三田村:
今は稽古の中で試行錯誤しながらいろんな要素を見つけていっている状態なんですね。そういえば最初のインタビューの時に、儀式の所作や様式に対して注目しているという言葉がありました。それについては今も継続していますか?
増 田:
少しそこからは離れてきています。というのは、当初作品について考えていたことの中で、舞台技術上、実現できないことがあり、最初のプランとは違うことをやらざるを得なくなったということもあります。でも、仕方がないから他のことを考えるしかない、ということではなく、こうなって良かったのかもしれない、とも思っています。
三田村:
儀式的な所作の様式から離れていかざるを得ない理由としては、当初のイメージが実現不可能になったことも大きいと。
増 田:
そうですね。始める前に思っていたのは、ダンサーをある強固な形式にはめ込みたい、ということでした。強固な形式とは、段取りや時間の制約ということです。でも稽古場で動いてもらっている内に、それはちょっと違うかもしれないという気がしてきました。
三田村:
今日の稽古でも、即興でダンサーに自由に踊ってもらっている部分がありましたけど、一方で、かなり具体的な動きやフォルムの指定もしている部分もありましたね。
増 田:
…私、してましたか?
三田村:
していた気がするのですが。(笑)
増 田:
あ、わかりました。最初のシーンの案を稽古していた時ですね。
三田村:
増田さんご自身で、細かい指示を出していらっしゃって。やっぱり自分もダンサーとして踊っている方ならではなのかなとも思ったのですが。
増 田:
あのシーンの体の状態には、しっくりくる形があったので、それはダンサーに伝えたいと思ってやっていました。
三田村:
ダンサーが登場する冒頭のシーンのイメージははっきり固まってるんですか?
増 田:
そうですね。
三田村:
といっても、今日実際にやってみて、固まったということですよね。
増 田:
そうですね、まだ半熟ですけど。(笑) あのようなシーンで始めようというのは、先ほど言った没になったプランがあった時から考えていました。
 
- 記憶の中の形や動き -
三田村:
冒頭のシーンからどのように展開させようと考えていますか?
増 田:
稽古の最後に、年号を読み上げていた時がありましたが、そこにつなげようと思っています。
三田村:
ダンサーが、自分の生まれた年から1年ずつ数え上げていき、その1年ごとにそれぞれの動き・所作を作っていた場面ですね。ということは、この作品はこの先、ダンサーの人生を所作でたどっていくような展開になるのでしょうか。
増 田:
稽古場で見ている内に、私がこういう動きをしてくださいって指示をしてやってもらうことを見るより、ダンサーそれぞれの記憶や、すでに身体が経過した形とか動きってものが気になってきました。そういうものを知りたくなってきたというか。わたしの指示で動きを作っていくのではなく、記憶の中の形や動きを引き出しながらやれないかなと思うところがあって。
三田村:
ダンサー個人の今まで生きてきた記憶をもとにして?
増 田:
そうですね。
三田村:
増田さんのそういうアプローチに対して、ダンサーはどのような反応をするんでしょうか。
増 田:
やりづらさを感じていたりもすると思います。自分自身にとって、近すぎることというか。それを語ろうとすることに、抵抗感があるとは思います。
三田村:
しかも、言葉ではなく動きで語るわけですよね。
増 田:
語るといっても、具体的なストーリーを教えてほしいとは思っていません。記憶の網目の中に引っかかってる形みたいなものを取り出せないかなと考えています。その記憶がなにをあらわしているか、踊っている本人以外にとって不明瞭でも構わないので。
三田村:
「記憶の網目の中に引っかかってる形」というのは、たとえば癖とかでしょうか。
増 田:
それもあるとは思います。ただ、今のところダンサーがやってみた中で、癖のような動きはなかったかもしれません。
三田村:
「形」っていうのは何の形でもいいんでしょうか。例えば自分とは別のモノ…コップの形とかでも?
増 田:
自分とは別のものの形ではなく、自分が何かをやった時の手の形や体勢ですね。ただ、実際にダンサーが何をやっているかは聞かないようにしています。
三田村:
そういう形を自らの中から探して出して見せて、という指示はするが、それが具体的に何なのかは尋ねないと。なぜ尋ねないのでしょうか?
増 田:
個人的なことで、人に言いたくないことが形としてあらわれている場合もあると思うんですが、別にそれを聞きたいわけではないので。
 
- ダンサーにまつわる数から動きを立ち上げる -
三田村:
ダンサーが年号を言って、その年号にみちびかれるような身体の形を自分の中から抽出していく。この試みで、何を見せたいと思っていますか? たとえば、ダンサーの今までの生きてきた歴史とかなんでしょうか。
増 田:
ダンサー個人の歴史は、たぶんその動きをつなげて見ても分からないと思います。ただ、年の数だけ動きができるっていうことがおもしろいと思っていて。たとえば、32才だったら、32個の動きや形があるというような。それぞれの人生をどうこうと言うことよりは、動きを見つけ出すひとつのルールとして、年号を持ちだしてきた感じです。 今回の作品でダンスの動きを作っていく動機として、ダンサーそれぞれに関わってくる数字とか記憶っていうものを出発点にしたいと考えていて。それぞれにまつわる数が根拠になっているということから、動き始めたいような感じがあるんですよ。
三田村:
そのひとつが、生まれた年号だということですね。そういった数字を抽出することで、どういった効果や意味があるんでしょうか。
増 田:
うーん、どういう効果を狙っているかというよりも、現時点では他の事柄から動きを作るってことが考えつかないですね。
三田村:
ダンサー個人それぞれにまつわる数ということですが、年号の他にどういったものがありますか?
増 田:
年の数とか、上演時の時間、現在流れている時間ってこともあると思っています。
三田村:
年号も年齢も、生まれてから現在に至るまでに流れてきた時間についての数ですね。ただ、その数を起点にダンサーが踊ったとして、その動きの連なりが結局、どのように観客側に伝わるのか、僕の中ではまだ漠然としていて、ピンときていません。まだ稽古も初期段階なので難しいとは思いますが、増田さんの中で結果どのようになるのが理想的か、イメージはありますか?
増 田:
それぞれが動きを取りだしてくる時点では、具体的な数字や記憶に基づいているのですが、その動きをつなげていった時に、記憶や意味というところから離れていきたいと思っています。
三田村:
たとえば動きながら年号を言っていくことで、それがたとえ無意味な動きでも、年号がそこに加わることでダンサーの一連の動きに観ている側によって何らかの意味付けがされていくことがありますよね。しかし、そこから抜け出したいというのは、なぜでしょうか?  そしてそれは可能なのでしょうか。
増 田:
まず、個人史を説明したいということではないということ。説明するのではなく、ダンサーには踊ってほしいのですが、そのための動きの取り出し方が、まずダンサーそれぞれに依拠していないと嫌だと思っているんです。
三田村:
最終的には、個人史を越えたものを見たい、見せたいんですね。
増 田:
もちろんそういうことです。
三田村:
では、個人史的なものを越えて、どこへ向かうんでしょうか。
増 田:
どこへ行くか、想定しているということではありませんが、どのように「私」というものから離れられるかを考えています。それぞれの「私」というものが、もっと曖昧になっていくといいのではないかと。曖昧という言い方がふさわしいかどうかは、まだわかりませんが。
 
- インタビューを終えて -
増 田:
このインタビューが文字になって帰ってくるのを見るときには、さらに数回の稽古を重ねているので、そのぶん時間のズレがあります。なので、あのときはそういうところに可能性を求めていたけれど、現時点ではもう少し違う、違った違ったと思うところもある、ということが起きています。でも引き継がれているものもあることを記録のなかに発見します。あとまだ言い切れてない言葉があるのを、次のインタビューのとき、別の言葉にできるだろうか、したいという思いを持ちました。
三田村:
自身のスキル面の問題もあり薄々予想してはいたのですが、特に創作の初期段階でインタビューを行うことは中々難しいということです。振付家もダンサーもまだまだ質、量ともに模索中であり、行われている作業に対して明確に即座に言語化するのが難しく、勿論聞き手もまだ多くないパーツから問いを引き出すのが中々難しい(あとは単純にネタバレになる可能性もある)。そして、言語の無いダンス作品について言葉を用いてインタビューすること自体の難しさにもようやく気づいたかもしれません。例えば聞き手側が「あの動きはどういう意図なのか」ということを問いそこからやり取りが始まった場合、このように文字に起こしたとしても読み手にとってはまるで宙を掴むようにしか感じられないのではないだろうかという懸念がインタビュー中も頭の隅にありました。ただ月並みですが、実際の創作過程を見せていただくのは非常に興味深いのです。次の稽古で一体どのように進化しているのか、純粋に楽しみです。

PROGRAM4 ねほりはほり
7月6日(土) 15:00開演 (高木作品のみ上演+トーク)
7月6日(土) 17:15開演 (西岡作品のみ上演+トーク)
7月6日(土) 19:45開演 (増田作品のみ上演+トーク)
上演時間 各回60分 (作品上演 約30分+トーク 30分) | 上演場所 音楽室
定員
各回60名 | 料金 各回500円 (当日+300円)

7月7日(日) 15:00開演 (ねほりはほり3本立て) ※トークなし
上演時間 約90分 | 上演場所 音楽室 | 定員 60名 | 料金 1,500円 (当日+300円)
webサイト予約フォーム || シバイエンジン


タイトル ||
「式日」

振付 || 増田美佳  出演 || 石川喜一 | 富松悠 | 山崎恭子
インタビュアー || 三田村啓示 (空の驛舎・C.T.T.大阪事務局、舞台芸術雑誌「ニューとまる。」編集部)

上演時間。日常とは異なる場をしつらえ、人々の立ち会いのもと人が何かする。それは一体何か。今のための儀式 という言葉がうかんだ。即興であることにずっとこだわりがある。それはこの今への欲望があるからだ。今 と打ったこのときの今は、打ったそばからすり抜けて文字のかたちだけ残る。常に接していて流れていて実感がない。流れを塞き止めることはできないが、せめて起こっていることの只中に、今に触れる時間のために。